ありがとうが言えなくて

先日「理想的な院長・理事長を目指せ」とかいう歯科専門誌があり、目を通していると、まず真っ先に従業員に対し常に感謝の気持ちを持ち「ありがとう」という事が必要で、それを励行すると院内が明るくなるとの事だとし、これが、いの一番に載っていた。
自らを省みると、自分ぐらい「ありがとう」を言わないというか言えない人間はいないと自負している。
今まで何回もチャレンジし努力してきたが、このような普通の人間ならたやすく出来る事が、未だにできない。なぜこのような人間になったのか。自分でも情けなくなるが、依然として改善されない。

私が生まれてから3ヶ月程して、姉が急性肺炎でわずか3歳で急逝した。父母とくに母は自分の責任と自らを責め、その反動で私を溺愛した。叔父叔母などは「姉の死の反動で甘やかされて育ったので、私のような人間になってしまった」と思っているようで、それが言葉の節々に出る。
分析すると、母が姉の死の反省から私の身の回りの事を何でもやってしまったので、やってもらう事が当たり前となって、人に感謝する気持ちがないので「ありがとう」を言えなくなってしまったという事と思っている。

私の周りの友人を思い出すと、どんなに癖の強い男でも「ありがとう」をやすやすと言っているし、聞いている立場としては心地よい言葉だ。
もう何度も何度も改善を試みるが、するっと「ありがとう」が出てこない。だからといって皆に全く感謝していないというわけではなく、深夜などその日一日起きた事を顧みて「ありがたい」と思い、時には涙ぐむこともあるが、なぜ素直に言えないのか自分でも不思議である。
自分自身のあまのじゃくな性格が、ほとほと嫌になってくる。
ここまできたので改善を諦め、誕生日カードと年賀状には感謝の気持ちをしたためて、償いをしている。
若いドクターには、こういう自分を決して真似しないように切に願う年の瀬である。