隠れた才能~そして幸せとは

従業員が100人以上にもなると、お互いの顔も見たことがない従業員も現れてきて、合同で忘年会をやる必要性が出てきた。
12月初旬に合同忘年会をやる事になって、忘年会も仕事のうちと思っている私が、勤務時間として1時間やるか2時間やるか考えていると、鎌倉医院の受付でブログ最多出場のSさんからTelがあり、
「先生、勤務時間を増やすぐらいなら、料理のグレードを上げてください」との事。
「去年はローストビーフとお刺身とフカヒレと○○と○○が出たのだけれど、それにチョコレートフォンデュとデザートも出て好評でしたが、今年は予算の関係でかなりおちるとの事で……平塚医院の
Tさんに聞きました…」とかで、いつになく切実で雄弁だ。
しかし、1年も前のメニューを明確に言えるのはすごい。
「1年前に食べたもの、全部覚えているの……」と聞くと、
「ええと、ローストビーフ、刺身、フカヒレ・・・全部は覚えていませんけど」
「それって全部だろ」
「1年前に食べたものを全部覚えているのは脅威だ。
それって、Sさんの隠れた才能じゃないの」
「いいえ、平塚受付のTさんも覚えていました」
しかし、Tさんは幹事だもの、覚えていても不思議はない。
私などは、その時どんな料理が出たかは1つも覚えていなかった。
人には隠れた才能があるものだ。
思わず、山下清の絵画を生で初めて見た時の事を思い出した。(例は悪いかもしれない)
1年前の料理を覚えている人間がどれだけいるのか、興味はそっちの方に移り、いろいろなスタッフに聞いてみると、
「ええ…と、ローストビーフが出たのだけ覚えていて、あとは忘れました」と箱根のSさん。
との答えあたりが、一般的なようだ。
再度、鎌倉のSさんに食べたものは忘れない方なのかと聞くと、
「あの時の料理はすごくおいしくて、また食べたいと何度も何度も思い出し、その度に幸せな気分になっていました」との事。
第二次大戦後の食糧危機の時期ならともかく……
一方私と言えば、何を食べたかはすべて忘れている。
それどころか1ヶ月前のパーティに何が出たかもすべて忘れている。
Sさんは「それは、先生がおいしいものばかり、いつも食べているし、そういうのに慣れているからじゃないでしょうか」
確かに贅沢に慣らされているのかもしれない。本当に幸せな事を当り前だと考えて、人間にとって大切なものを忘れているのかもしれない。
彼女はおそらく何回も思い出していただろう、彼女の“小さな幸福”を彼女の記憶の中で反芻する事によって、昨日の如くに答えられたのだろう。
「先生、忘年会楽しみにしている人は、いっぱいいるんですよ。
また、チョコレートフォンデュが食べたいです」
そんな声に励まされながら、忘れかけた“小さな幸福”を今年の忘年会では見つけようと決意した。