我が研修医の父兄の皆様へ

10連休である。
新年号 令和 の命名者が、我が予備校時代の恩師 中西進先生であることが判明し、ついつい予備校時代の出来事をつらつらと思い浮かべてしまう。
予備校時代一番の思い出は何といっても英語担当のA先生にまつわる事である。

A先生は噂では外語大の教授をされていたとのことで、大変な実力の持ち主で、謹厳実直で寡黙な先生であった。
春うららのある日、いつものように授業を進めていると、突然、A先生が教壇から駆け降りて、私のちょうど左前方の壁際に座っていた睡眠中のB君に思い切りストレートパンチを浴びせた。B君はパンチをまともに受け壁にバシッ、ゴーンとばかりに頭をぶつけた。
A先生はすかさず、
「お前、昨年もいたな。居眠りをしている場合ではないぞ。
今のパンチはお前のためにやったのではない。
お前のような馬鹿息子のために必死になって月謝を払っている親父のために、親父に成り代わってパンチを浴びせたんだ。」
パンチを受けたB君は、ただうずくまって泣き崩れていた。
A先生の授業が終ったのち、B君はどこかに消えてしまい、その翌日も予備校に現れなかった。
一日あけて、B君は床屋に行ったのか、さっぱりとした髪をして予備校に現れた。
B君は私より前の席に座っていたので、成績順に並んでいたその予備校ではかなり成績が上位ではあったが、それがあって以来すっかり態度を改め、その後の噂では、第一志望の大学に見事に合格したとの事であった。

さて、学期が変わる今ごろ、泰晴会にも新しい研修医が現れる。
現在は臨床研修医制度といい、6年間の歯学部卒後1年間、大学病院や開業医で研修した後正式に歯科医として登録される制度だが、年々国試自体が難化しているのでなかなかここまで到達しない。
私立大学は国試の合格率が翌年の出願数に関係してくるので、国試に受かりそうもない学生は卒業させないのだ。よって、歯科医になるまで通常6年なのに、9年、10年経ってようやく卒業というのが珍しくなくなっている。
今年入った研修医も、とうとう父親がギブアップしてしまい、生活費の仕送りを止められ予備校の講師をやりながら国試に合格したとのことである。
留年しても授業料は減免されないので、年に500万~700万円もの負担がかかり、3年も留年しようものなら軽く2,000万円くらいのお金が飛んでしまう。
但し、今まで何人もそのような研修医を雇用してきたが、思いの外に皆素直で、遅れた分を必死で取り戻そうとして、ストレートで卒業した者よりも、他の従業員からの評判がすこぶるよろしい者が多い。
政府・文科省及び厚労省は何のためにこのような回り道をさせるのか理解できない。
研修医を前にして私が
「ずいぶんと回り道をして君のお父さんお母さんに心配をかけさせたな。」
と言うと、皆こっくりとうなずく。
「だが心配するな。うちに来れば1年が3年分の密度だ。6年遅れた君は2年で6年分の遅れを取り戻せるぞ。」
現代の歯科医療はやるべき事が山積している。
マイクロ・CAD/CAM・インビザライン・ダイレクトボンディング・即時埋入インプラント…。
昨年の例でいうと、研修医には年間30日ほどの外部講習会を受けさせ、治療した患者数は恐らく大学病院の5倍ほどになると思う。
彼らは皆、親兄弟には非常に申し訳ないという気持ちでいっぱいだ。
B君が頭を丸めて反省したように、私は暴力はふるわないがA先生のような気持ちでビシビシと鍛え上げ、患者さんや従業員から全幅の信頼を集めるドクターになるべく、そして郷里の父母に、いつの間にかこんなに立派なドクターになったのかと驚かせるべく育て上げようと毎日必死の思いでいる。