追憶

日曜、スーパーのパン屋でパンを買う。

パンを3つおぼんにのっけた時点でバランスをくずし、パンが床にこぼれおちた。

そうすると、70才代と思われる店員のおばちゃんが、拾おうとしてパンに手をのばしている私に対してすかさず、(床に落ちた位ではワンゲルで慣れているので平気だ)「お客さん、拾わなくていいですよ。新しいのに代えますよ」と言って、おぼんにパンをのせるやいなや、中学生か高校生とおぼしきバイトの子が、さっとおぼんを持ってパンを取り替えてくれた。

「日本じゃなきゃあり得ないよな」と自問自答する。

悪いと思い、10ヶもパンを買ってレジに行くと、中学の高学年か高校の低学年とおぼしきさっきの女の子が「10ヶも買ってくれたのネ」という感じでニッコリ笑って応待してくれた。

自分の中高時代と比較して、日曜日なのにアルバイトとは「えらいなぁ…」とずっしり思う。

今から40年程前、私より5つぐらい下のGさんが、助手として私のアルバイト先の東京の下町の歯医者で働いていた。

その医院は下町の医院らしくやたらと宴会が大好きで、3日に1回位は医院の終了後宴会をやっていた。

当然ドクターのおごりとなるわけだけれども、その中でGさんはおごられた事が少なかったせいか、はしゃぎまくり全身を使って感謝の気持ちを表していた。

Gさんは私の知り得る助手の中では、受付もこなすし、無駄な動きがなく、患者がいない時でも何かをしているような恐らく歴代No.1の助手であった。

宴会はお好み焼き屋を使う事が多く、お好み焼きを食べながら、その時のチーフが口火を切った。

「市島先生、この子偉いんですよ。彼女は9人兄弟の長女で、朝は牛乳配達、昼はスーパーのレジ打ち、そして夜からうちに来るんです。」

「えー、3つも働いているのか」と言うと、こっくりと丸い目をして頷いていた。

現在我が法人ではWワークは何人かいるが、ここまで働きづめの従業員はいないと思う。

彼女の場合、父親が病弱で入退院を繰り返し、彼女と母親で生計を立てているという状態だったと思う。

彼女は時折過労のため貧血を起こして倒れたりする事もあったが、健気に働く彼女の姿を見ると、大学病院でのんびりと働いてアルバイトをやっている身としては時には身の引き締まる思いがした。

やがて私はアルバイトを辞め、大学での生活に別れを告げ開業し、彼女との意思疎通もそれっきりとなってしまった。

もちろん現在の泰晴会にも家族を支え頑張っている若者も少なからずいるがそれらの活躍を見るにつけ、彼女と二重写しになってしまう。

生きているなら60才位と思うが、きっと真っ直ぐに生き裕福ではないかもしれないが、幸せな人生を過ごしてくれているものと思っている。