届かぬ年賀状 PartⅡ


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開業直前に新婚早々お酒の飲みすぎで体調を崩した時期があり、
蒲田で“雇われ院長”としてO歯科で働かせて戴きました。
O歯科は御主人が亡くなられて、その未亡人のおばあちゃんを娘さん(といっても私より6つ程上)で
運営しているような医院でした。
大学病院あがりで未熟で生意気な小生を、色々な方面でバックアップして戴きました。
Oさんは千葉県の銚子生まれで、その後御主人が深川で開業されていたこともあり、
娘さんともども下町堅気の人情豊かなイキやイナセの世界の人でした。
ある時、給料日に給料袋を開けてみると明らかに50万円多く入っていて、
私はすぐに誤っていると返却に行ったところ、おばあちゃんも娘さんも
一度払ったものは返してくれなくて結構との事で、何度も返すと言いましたが、
受け取ってくれませんでした。
その時のおばあちゃんの言葉は「先生は正直者だね。きっと出世するよ」と。
「出世したら返してもらえば良い」とニッコリ笑って言うのです。
当時、歯医者は今よりはゆとりがあったにせよ、50万円の大金です。
私はその器量の大きさにすっかり参りました。
もう30年も前の話ですが、1~2年前のように鮮明に覚えております。
O歯科には2年間お世話になり、医院を受け継いでくれる人も見つかり、私は開業しました。
Oさん一家にはお世話になりっぱなしで何のお返しもできていません。
Oさんも、前回記事で登場したOさんと同じように律義で年賀状の必ず届くタイプのでしたので、
今年の年賀状が届かなかったのは、大正3年生まれのおばあちゃんに何かあったのかと、
正直心配になりました。
1月10日頃、思い切って久々の電話をかけてみようと思い、ドキドキしながら受話器を握っていると、
懐かしい娘さんの声で「先生、元気?母は元気よ!殺さないでね」と笑い声の応答がありまして、
どうやら年賀状は誤って旧住所に送られたようです。
今年の正月1番嬉しかった事、そして何らかの恩返しをしなければと反省しきりの1年のスタートでした。