日本のゆくすえ

テレビをつけると、またアメリカの高校で銃乱射事件がおきていて、短髪の女子高校生が銃規制について声を荒げて主張している。
「今大統領に私は問いたい。何で銃を規制しないのですか」
「大統領が言いよどんだら、全米ライフル協会から献金をもらっているからですねと言ってやる。」
「そしてまた、少しは日本を見習ったらどうですか。日本では学校内の銃乱射事件は1回もおきていない。それは銃を厳重に規制しているからです」と。

明治維新から今年で150年、まだまだ改善点はあるが日本はまあまあのいい国になったと思う。
明治維新を断行した大久保利通や西郷隆盛も墓場の下で、合格点を与えてくれるのではないか。

先日の日曜日、セミナーで東京に行った帰りの新幹線でペットボトルを飲んでいると、ふたがころころと前の座席の下に飛んで行ってしまった。そうすると前の席に座っていた若者がにっこり笑って
「これ飛んできましたよ」と届けてくれた。
その日の昼休みも会場近くに食事に行く時、例の如く私がお金を落とすと「これ落としましたよ」と2,3人連れの若者がにっこりと笑いながら5000円札を届けてくれた。
年をとったせいか、そういう事が率直にうれしく、なんか1日儲けものをしたようないい気持ちになってしまう。

平昌五輪の羽生、平野、高木らの頑張りを見ると、我々の青春時代の札幌五輪と比べて、肉体そして精神力共に勝ってきているように思う。
我々が若い頃、日本は学生運動の嵐で荒みきっていた。ゴミなどはぽんぽんと捨て、公共心も何もあったものではなかった。酒もむちゃくちゃに飲み、羽目をはずして馬鹿な事をやる事が英雄ともてはやされた。
外車やブランドものに憧れ、その目的の為にしゃにむに働いた。
あの頃ペットボトルの蓋が飛んできても、にっこり笑って後ろに届けてくれるようなゆとりがある人間は少なかったように思う。

箱根に住んでいて感じるが、昨年ぐらいから外国人の観光客が急増している。
昨年正月はシンガポールに行き「おもてなし」の悪さに懲りて、もう外国に行くのはやめ、今年は長崎県の壱岐島に歴史探訪の旅に出かけた。着くなりレンタカーを借りて宿泊ホテルを目指したが、ものの見事に迷子になり、ちょうど郵便ポストにたぶん年賀状を入れに来ていた中年の女性に道を尋ねたところ、しばらく考えて「ついて来て下さい」と言われついて行くと、なんと20分もかかって目的のホテルまでドライブして案内してくれた。
「ありがとう」と言うと壱岐弁で「なんもなんも」という感じで平然と去って行った。
日本人の本来持っている優しさや気配り、きめ細やかさが、やっとここに来て世界の人に評価されてきたような気がする。
箱根の外国人はひたすら歩いて湯本から奥湯本を散策している。そして簡素なホテルに泊まっている。
タクシー代、ホテル代、外国人からみて高いと思われるものを、もう少しリーズナブルにすれば、これから日本は観光立国として立派に通用していくものと考えている。
世界が日本の事を色々な意味で立派で尊敬すべき国家と完全に認めるようなところへ、あと一歩のところに来ていると私は感じている。

(今回の台湾地震の義援金をセブンイレブンやファミマがいち早く始めたのは非常にいい事だと思う。東日本大震災の時に台湾の人がいかに日本の為に尽くしてくれたか我々は忘れてはいけないと思う。)