恩師・田中保先生

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我が町鎌倉では親切な理髪店があり、朝7時から整髪をしてくれるので“朝型人間”の私にとっては、大変助かっております。
先日予約する際にマスターが名刺を差し出してくれて、思わずそれを見て背筋がピンと伸びてしまいました。
その名刺には「田中保」と書かれていて、我が中学・高校の恩師と同姓同名でありました。
学級担任として、野球部の顧問として、数学の教諭として、先生と私は学年の中でも一番接触する機会が多かったと思います。
当然“愛のムチ”をふるわれた回数も私が最多ではないかと思っています。
(先生はお前が一番多かったと卒業式の時におっしゃっておりました)
数学の授業で1つミスをすると机の上に正座、2つすると竹刀でカツ、3つすると教室のすみに連れて行かれ、4つすると教室の窓から出される・・といったあんばいで、数学の苦手な私にとってそれは大変な恐怖でした。
我が医院のDr.小橋は、中学・高校・大学とすべて私の後輩にあたり、偶然にも田中保先生が担任だったとの事で、その話をしてみると彼の時は年は25才程離れていて田中保先生は、大変優しい先生に変化させていて、驚きと同時に少しさびしい感じがしました。
最も“タモツ”というニックネームは同じでしたが・・・。
不思議な事に、どんなに“鉄拳制裁”をふるわれても、少しも痛いと思った事がなかったのは、先生の愛のムチには、たっぷりと愛情が注ぎ込まれていたからだと確信しています。
私が目黒警察のおまわりさんを校舎からからかって、先生と共に目黒警察に陳謝に行った時のビンタだけは痛く、母親にほっぺたについた手あとがばれないように、渋谷の街を2~3時間ほっつき歩き、手でほっぺたを隠して家に帰ったものでした。
私が昭和大に就職した時も先生は大変心配してくださり、先生の同級生になられる山口教授を紹介して下さいました。
その後も何かと先生にはお世話になる機会も多いのですが、最近は年賀状のやりとりのみになってしまってさみしい限りです。
あたらめて恩師の偉大さをその思い出と共に悟るようになった不惑の小生でありました。