令和と中西進先生と予備校時代

新元号が令和と決まった。最初は違和感があったが、何か新しい時代の息吹が感じられて、いい選択だったと思う。
元号の命名者は中西進先生と聞いて、やはりなと思った。

中西先生は私の予備校時代(大塚の武蔵予備校)の国語の担当教官だった。専門は万葉集で、成城大で教授をされていた。
先生の博学さは大変なもので、私の人生ではその弁舌の鮮やかさ、ウイットのある会話など、どれをとっても一番の先生だった。
ある時ある学生が、「先生のような方がなぜこの予備校で働く気になったのですか」と聞いたら、
「この予備校の生徒の目は生きていて、一生懸命私の話を聞こうとする姿勢がたまらないのです」とおっしゃって皆を感嘆させた。
私も先生の授業は楽しみで、受験前の10月に真剣に文学部に転向しようかと迷ったほどだった。
予備校での1年間はあっという間に過ぎ、結局父の意向のまま、理系→文系は叶わなかった。
最終授業の時、先生はおっしゃった。
「この場で『またお逢いしましょう』とは言えないんですよね。なぜなら、またこの場で逢うということは敗北を意味するわけですから。」そして「君たちは軟体動物なのですね」
「いか(イカ)になりゆく我がゆく末」
最初から最後までしゃれっ気たっぷりの万葉集の申し子、そして文学の達人の先生であった。

「初春の 月にして 気淑く風 ぎ 梅は鏡前の粉を披き
 蘭は珮後の香を薫らす」