シムラと志村

NHKのファミリーヒストリーによると、志村けんの一族は甲斐武田家の家臣で武田家滅亡の時、小田原方面に逃げ延びた派と東村山方面に逃げた派に分かれた際の東村山のグループに入っているらしい。
古文書によると志村一族は大変勇猛果敢だったそうである。
そういえば小田原、平塚方面には志村姓が多い。
何を隠そうブログ最多出場は、結婚してOさんに変わったが、
「手広のSさん」というのは志村さんのことである。
今は転勤して、手広のSさんから桜ヶ丘のOさんとなった。
志村さんが勤め始めたころ「志村さん、学生時代のニックネームなかった?」と聞くと
「ケン、って呼ばれていました」と答えてくれた。
「ケンって、志村けんからきているの?」と聞くと「そうです」と言ってちょっぴり笑った。
その話を思い出した私は、先日彼女に、どこか志村けんと似ているところもあるので、「ひょっとしたら大先祖は同じかもしれないぞ」とファミリーヒストリーの話をすると、さすがに興味をひかれたようで熱心に聞いていた。
今回の志村けんの急死は、日本人に多大な衝撃を与えたのではないだろうか。大概の者は自分も含めて、涙なしでは生前の映像を見られなかったのではないか。もちろん「手広のSさん」も号泣したそうである。
よく、志村けんは天才型と言われていたが、ドリフターズに入った時は、芸がわざとらしくて、交代で辞めた荒井注の方が断然上だと言われていた。
それから一歩一歩芸に磨きをかけ地位を固めていった。努力型の人間と思われる。
「手広のSさん」と共に人望を集めた志村けんさん、ご冥福を祈るという言葉では全く足りない。
日本の大きな損失だと思っている。
残念です。