ぐっときた PARTⅡ

歯医者というものは、思ったより大変な商売で、世の中の人も、我々が学生の時は「歯医者さん、いいですね」と羨望のまなざしで評価されたが、最近は「歯医者さん、数が多くて大変でしょう・・・」などと同情されるようになってきてしまった。
10年くらい前のある日、心身ともに疲れきっていて山北分院から平塚分院に車で移動中の事。
平塚四ノ宮医院に車を停めようとした駐車場での冬の寒い日、おんぶ紐で幼児をおぶっているWさんが必死であやしている光景が目に入った。(当院には保育士による“赤ちゃん預かり制度”があり専門の保育士がママが治療している間、お子様達をお預かりしています。)
おそらく院内では泣いてしまうので外に出たのだと思うが、彼女は東北のある城下町から上京して、短大卒業後、平塚の保育園で保育士を経て当院へ就職していた。
天真爛漫な人で誰からも愛され、尊敬され、東北人独特の真面目さ・粘り精神があり、まさしく平塚四ノ宮医院の精神的支柱だった。
彼女がいるだけでまわりが、パっと明るくなるような人だった。
従業員が無私の心で仕事に没頭している姿は美しく、時には感動させられる事もある。
受付にいる彼女の眼は、耳で電話を受けていても常に患者さんの入口に注がれ、お年寄りや体の不自由な方がいると、そっとかけより手を差し伸べていた。
その当時、私は疲労困憊していたと思う。ドクター同士のいざこざ、重くのしかかる社会保険料負担、そして税金の支払い・・・
長男・次男・長女の教育資金にも追い回され精も根も尽き果てていた。
そんな時にWさんの懸命な姿が眼に入ってきて胸に込み上げるものがあった。
「Wさん、いつもありがとう。あなたの様な人がいるからこそ、頑張って乗り切れるのだ・・・」と“ぐっと”きてしまった。
Wさんはその後の事務局とのつまらないいざこざに巻き込まれ、郷里の山形県に戻り結婚された。
6年たった。
Wさんが鎌倉の診療所に夫君と2人で突然やってきた。抜群の眼力だった。
「先生、ブログ見てますよ。」
「今度はちゃんと日にちを決めてから来てなぁ~。御馳走するから」と私。
やはり常人とは違うパワーとオーラを感じた。2たび3たび、ぐっときてしまった。
現在はお父様とご主人とで古物商を営んでいるそうだ。
今度は経営者同士として話をしたいものだと思った。