オリンピックとエールと古関裕而

こんなにコロナが蔓延していて、本当にオリンピックができるのだろうかと考えてしまう。
昭和39年私が小学校6年の10月、東京オリンピックは開催された。
その時母は胆石を患って入院していて、病室で開会式を二人で見た事を覚えている。
病院の屋上で、航空自衛隊が五輪のマークを青空に描き浮かび上がったのを見た後、その高揚した気持ちのままでテレビを食い入るように見つめていた。
一番最初にギリシャの選手団が「オリンピック発祥の地」という名の下に入場してきた。
古関裕而作曲のオリンピックマーチが奏でられた。
母親が「この曲は日本人が作曲したのかな」と言うので、
「長崎の鐘の古関裕而さんが作曲したらしい」と答えると、
「日本人でもこんな曲がかけるんだ」と母は長いため息をついた。
そして、それから整然と並んで天皇の方に挙手一礼をしていく姿を見て私は感動し(右翼ではないが)、ちらっと母親を見ると涙を流していて「日本もやっと戦争から脱して、こういうところまで来れたんだね」と言った。

中学時代、遠足に出かけるバスの中での事。
その当時は、皆でバスの中で我こそは歌わんという伝統があった。
そんな時、クラスで真面目人間で通っていたYが「長崎の鐘」について原爆で被ばくされた医学博士が、原爆で崩れてしまった鐘を土砂の中から皆の力で掘り起こし、励まし合い頑張ってきたという事を綴った歌だと言って歌い始めた。
日頃から、誰かが歌うとからかってばかりいた悪童たちもすっかり黙り込み、厳粛な気持ちになった。
NHK朝ドラ「エール」を見て、その背景がはっきりと分かった。
先日、歌手の加藤登紀子が、エールの中の長崎の鐘の章を見て涙が自然と溢れ出てきたという話をしていたのを聞いて、やっぱり古関裕而の曲には日本人を揺さぶる何かがあるのだと思った。
朝ドラ「エール」の出来栄えは近年の中では秀逸だったと思う。
東京オリンピックの閉会式は、開会式と打って変わって、皆肩を組みながらわざと隊列を乱して入ってきた。それも感動的だった。
女子バレーボールや重量挙げの三宅、マラソンの円谷とヒートリーの争いなど2週間の間に、どれだけ胸を熱くしたか分からない。
やはりオリンピックはいい。
コロナを制圧して、人類はコロナに打ち勝ったというオリンピックになることを切望してやまない。