カブキ

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「海老蔵事件」が世間を騒がしてる。
大阪南座の突然の代役の片岡愛之助が脚光をあび、立派に代役を果たしているので
逆に人気が出てきたようだ。
片岡愛之助は一般家庭に生まれたが、片岡仁左衛門に見出され片岡秀太郎の養子となり愛之助を襲名した。
実は小生も母方の祖父は「坂東飛鶴(ばんどうひかく)」と言って、もう40年以上前に亡くなっているが歌舞伎俳優だった。
尾上菊五郎一門に属する役者でそのせいか、叔父や叔母は子供の頃“子役”として舞台を踏んでいる。
私が幼稚園の頃、祖父が母に私を歌舞伎界に入るようにしきりにすすめた事があった。
祖父は奈良の造り酒屋の道楽息子で、芝居好きがこうじて歌舞伎俳優になり、70代で亡くなるまで歌舞伎界の中堅どころをつとめていた。
ご存じのように歌舞伎界ほど封鎖的なところはなく、海老蔵の成田屋の如く“家柄”が良ければ大役につけるが家柄がなければ一生、中堅どころで終わってしまう。
愛之助が養子になったのもその為だろうと思っている。
祖父は本当に芝居が好きで、決して歌舞伎界の中で出世したいと思う気持ちはなかったと思うが、内心は忸怩たる思いがあって、私を大名跡の養子にして役者にさせたいという気持ちがあったのではないか。
一般に歌舞伎界で名優になる第一条件として口跡(声の大きさ)と顔の大きさがあげられる。
ばかばかしいようだけど、この2つが大切だと母も口癖のように言っていた。
私は顔の大きさはともかくとして声だけは大きく、そこに祖父が目をつけたのだという。
祖父のアイディアは父の知るところとなり、父が激昂してこの話はあえなくつぶれた。そしてまた
私も歌舞伎界の稽古の激しさは祖父よりじかに聞いていて、子供心にやっていける自信がなく、この話は頓挫し
今になって思うとあの時父が賛成していたら・・・と夢想する。
案外、成田屋おはこのにらみを舞台で実現していたかも・・・。
ふとTVの海老蔵の釈明会見を見ながら考えてしまった。