ひと夏の思い出PARTⅡ ~奇跡という事

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お盆である。こんな時はどうしても鬼界に入っている人間の事を考えてしまう。
大学4年の頃、寮で同室のIso君と夏に山陰旅行を計画した。
京都から米子に出て最終的には島根県の隠岐の島で4泊を過ごした。
隠岐の島の人は柔和で親切な人が多く、食べ物もうまいし海は果てしなく美しく、二人とも大満足の旅行となった。
とはいっても二人とも貧乏学生で、宿代を節約するために米子駅で野宿し鉄道公安官に追い出され、その後公園のベンチで寝ていて今度は警官に公園から追い出されたりしていた。
Iso君の実家は栃木県の小山市で、江戸時代から続いているような旧家の酒屋で、あちこちにビルを持っているような大金持ちであったが、彼の浪費癖からかいつもお金にはピーピーしていた。
隠岐の島は「島前(とうぜん)」「島後(とうご)」というようにいくつかの島に分かれていて、島前に3泊・島後に1泊・・というような計画だったと思う。
二人で島から島へ渡る連絡船に乗っていると絶世の美女二人が乗ってきた。
どうしても目立ってしまう、まさに“掃き溜めに鶴”のような存在だった。
Iso君と私は二人の一挙手一投足にくぎづけとなった。
「すごい美人だな」と私。
「どうせ高級ホテルに泊まるんだろう」とIso君。
「隠岐の島に高級ホテルなんてあるのかね」と私。
そうこうしているうちに船は船着き場に到着し、それぞれの民宿から客を出迎えに来ていて、先ほどまでの喧騒が嘘のようになった時、なんと我々二人とくだんの美女二人だけが残っているのに気がついた。
まさかと思った瞬間、人のよさそうな顔をしたおじさんに「オタクたち、Isoさんと○○さんだね」と言われ、我々の泊まる民宿の人が迎えに来てくれた。
実にラッキーにもその美女二人と軽トラの荷台に相乗りすることになった。憧れの美女二人は、まさに目の前にいる。
彼女たちは都会育ちらしくトラックの荷台になるなんてことはなかっただろう。初体験で興奮している様子がうかがわれた。
Iso君は今でいう“イケメン”で、おっとりとした性格で随分と女性にモテた。
ところがいつもは栃木弁で「どこから来たんですか?」とか軽いノリで聞く彼が、今回に限ってはあまりにも美人すぎてか、何もしゃべらなかった。いや、しゃべれなかったのか。
もちろん私もいつもの調子は陰をひそめていた。
とうとう一言もしゃべれずに気まずいまま民宿につき、そしてまた海水浴場に連れられて行く時も同じように気まずい時間だったが、なんとか“どこから来たのか”だけは聞き出した。
「N県からです」と関西なまりのある声で答えてくれて、「国立のN女子大ですか?」と1つしか知らない女子大の名前を言ったところ「そうです」と答えた。
ところが海水浴場でお互い右に左にと別れ、口を交わすどころか避けあっているかのごとくであった。
民宿に戻ったら(現在はもうそんな事はないだろうが)5人相部屋で、山形大から来ていた3人組と一緒になって意気投合した。 
山形大3人組は愉快な連中で、N県の美女2人の話をしたら民宿中を捜してきて連れて来ると言い、実際その通りになったのにはビックリした。
やがて宴もたけなわとなり、民宿中のほとんどの皆々が我々の部屋に集まり、今から思っても不思議なくらい盛り上がり、今度ばかりは酒の勢いでN女子大2人組に住所と北海道へ遊びに来るとの約束までとりつけた。
翌日、夢見心地で目が覚めると民宿中の人間はサイクリングに出掛けたとの事で、更にビックリしたのは昨日の酒代がすべて我々2人につけられていた事だった。
抗議をしたが、いかにのんびりとした隠岐の島の人でもそれは拒絶された。
その日に帰る予定の私たちは、船の時間に迫られていて、結局私があり金を全部支払った。
米子から岡山へ向かう電車の中で食堂車というのがあり、Iso君が大金を持っていると勝手に解釈していた私は、
ステーキなんぞを注文し、いざ支払いになり前日の酒代を出した私は
「Iso君、ごちそうさま」と言うと
「えぇっ!?僕もこれを支払ったら何もないよ」とIso君。
「うそっ!?・・・・」と2人。
お互いお金を相手が持っていると思い込んでいたのでした。
食堂車のお金を支払うと2人の所持金は20~30円ぐらいしか残っていなかった。これでは電話もかけられない。
現在のようにケイタイもメールもない時代である。
それでもIso君がその20~30円で自宅に電話をかけたが、「アー」とか「ウー」とか言って終わってしまった。
これで旅先で全くの無一文となった。
岡山駅の鉄道公安局に行き借金を申し込んだが、一時間も事情聴取されて結局一銭も借してくれなかった。
電車に飛び乗り“捕まったら事情を話そう”と言うとIso君は「それはれっきとした犯罪になる。自分は前科者にはなりたくない。」との事で、本当に前日の天国から地獄へと突き落とされた。
岡山駅のベンチでどうすべきか無一文の2人はガックリとうなだれていた。
岡山か・・・。岡山で知っているのは唯一人、高校をほぼトップの成績で卒業してT大を卒業し、旭化成に就職したMaしかいないが、果たして岡山のどこにいるのか・・・と思い顔をあげたら、なんと!見覚えの歩き方でMaが自分の前を歩いていくではないか!!
Maは自分の事を尋ねて来てくれたと思い、喜んでくれた。事情を話し無事にMaから金を借り、ついでに岡山旅行を案内してくれた。
まさに奇跡というのはあの事だといつも思っている。頭脳明晰のMaの計算によると、何万分の1の確率だとか言っていた。
N女子大の2人は札幌に帰って2人で知恵をしぼりラブレターを書いたが全く音沙汰なく、そのかわりに宴会の時知り合った長野の女の子2人が札幌に尋ねて来て、フェミニストのIso君は札幌を2日も案内し、私は卑怯にも“実習が忙しい”という理由で逃げてまわった。
もう35年も前の話だが夏空に入道雲が立ち込める時、その後不慮の死をとげたIsoと味わった“ヤジキタドタバタ旅行”を今はとてつもなく懐かしく思い出す。
入道雲が大好きだったIsoを思い出し、今生きていられる幸せを感じ、Isoの分も生きようと思い、夏の余韻を湘南の海で味わっている。
長文、お付き合い有難うございました。