アナフィラキシー・ショック

※アナフィラキシーショックとは
アレルギーの一種で、以前に曝されたことのある抗原に対して生じる重度の免疫反応のこと。
抗原抗体反応による激しいショック症状を引き起こし、ひどい場合は死に至ることもある。

今日もまた、90歳になるおじいちゃんが受付で世間話をはじめている。耳が遠いせいか、声が大きく、診療室内にも話している内容がつつぬけで、Drや衛生士も、その話を聞いており皆、苦笑している。
毎日そのようなやりとりになっており、彼は我が医院の名物男となっていた。
話の内容は毎回単一であり、同じような話を同じようにするところがおもしろい。その度、心やさしきわが受付は、心の中では“もう10回目だわ”と思いつつ、初めてその話を聞いたようなそぶりをしていて、笑ってあげている。
おそらく、おじいさんの家人も、この話はあきあきしているし、彼のよく行く市立病院や整形外科は忙しすぎて、全く相手にしてもらえないのだろう。
彼の話はやがて、亡き妻がA学院出で(才媛だ。不思議と自分の出身大学は言わない)恋愛結婚し、その妻が5年前に亡くなってしまったというところで、よよとばかりに声をつまらせて泣くところまで一緒で、その都度、受付は「いいおばあちゃんだったんですね」とか「おじいちゃん、泣かないで」とか、バリエーションに富んだ受け答えをしている。
私はと言えば、またはじまったかと思うが、かと言って、それを軽視するわけではない。
なぜならば、こういうたわいのない会話も必要だと思い知らされたある重篤な出来事があったからだ。

もうあれは30年程前の話になるかもしれない。
決まって夕方の5:00頃にあらわれる、きちんとした身なりをしていて、いかにも出勤帰りの、35歳ぐらいと思われる女性を診療していた。右の前歯が痛いとの事で、P急発(歯槽膿漏の急性症状)と診断し、前回と同じセポール(セファロスポリン系抗生剤)を処方し、様子を見るという事になった。
彼女が診療所から出て、30~40分経ったころ、受付のFさんがあたふたと私の前に現れた。
「院長、大変です。先ほど来られたAさんが、ろれつが回らないような、酔っぱらったような受け答えで電話をしてきました」
「とにかくもう1回TELをして…、家族はいないの?」
「家族は幼稚園に通っているような子が一人いるだけの母子家庭です」
受付はあたふたと電話をはじめた。
アナフィラキーショック。
私の頭の中にそれがよぎった。
「問診票を持ってきて」
チーフ衛生士のHさんが、問診票を持ってきた。
「先生、アレルギーのところは“なし”となっています」
と言った時、受付のFさんが金切り声をあげた。
「先生、○○君がTELに出て、お母さんが倒れていると言って泣いています!あの子の家のすぐ隣の家は、先生がいつも診ている患者のTさんです。
TさんとAさんは、いとこ同士です。電話してみましょうか」
「そうしてくれ」
やがてTさんから電話が入った。
「先生、Aのうちに駆け込んだら、Aが倒れていて、今、救急車で運ばれて、S病院に向かっているところです」
「解りました。私も向かいます」
とにもかくにも、すべての仕事を勤務医のC君に任せ、S病院に向かった。
S病院では、チアノーゼが出て、紫色になっているAさんと名医で有名だったD先生がICUに入っていた。
D先生は、
「先生、あぶなかったよ。さっきまで血圧は0に近く、脈拍も微弱だったよ。もうちょっと遅ければまずかったね。
しかし、もう山はこえた。大丈夫だ。
先生、ところで何の薬を飲ませたの」との事で
「セファロスポリン系のセポールです」と答えた。
「セファロスポリンねぇ」とD先生はため息をついた。
Aさんは、もう意識が戻っていて朦朧とした眼を私の方に向けて
「先生すみません、ご心配かけました」
「実は私、アレルギーの宝庫なんです。でも正直に書いたら、先生が診てくれないと思って、何にも書きませんでした。こんな事になってすみません」と涙ながらに謝ってきた。
やはり、分析すると、アナフィラキシーショックだった。
セポールは、1週間前にも出しており、その時感作して、2回目に過剰防衛反応であるショックが惹起されたものと推定された。
後から聞いてみると、Aさんは確かにアレルギーの宝庫のような人で、過去にも何回もこのようなショック症状をおこし、前医院で正直に申告したところ、大学病院に行ってくれとの事で、母子家庭である彼女は通院できないため、アレルギーの既往を0とした様で、この問題は結構大きな問題となり、セポールの製造元のグラクソ社は何回も私の所に謝罪と調査に来て、結局セポールは、製造中止となった。(さすがに一流企業はやることが立派だ)
それにしても受付のFさんは、いろいろと込み入った人間関係を知っていたものだ。
彼女にそこらへんの事を聞いてみると、母子家庭となっていたAさんは、いろいろとFさんに相談というか、身の上話を持ちかけていた様だ。Fさんは気の毒に思い、いろいろと聞いてあげて、アドバイスなどもしていた様だ。
いとこがTさんで、隣家に住んでいるというのも、そういった身の上話から解った事のようだ。
もしTさんとの関係をFさんが知らなかったら…
D先生の話から間に合わなかったかもしれない。
このようにして受付の、一見無駄話とも思えるような患者とのコミュニケーションも、時には絶大な力を発揮する。
これからは、一人住まいの年寄りが圧倒的に増えてくる時代となるであろう。
孤独な年寄りや、いろいろな病気を持っている人の意見に、受付は嫌がらずに耳を傾けよう。
万が一、Aさんが最悪な場面を迎えていたとしたら、私の歯科医師としての人生は大きく変化していった事と思う。
今さらながら、Fさんの行動力と瞬発力と日頃からの注意力に、感謝をささげたいと思っている。