昭和大の思い出(ウシジマクン)

北大を卒業してS.53年に昭和大学の保存科に入局した。
教授には、東北大教授であった和久本先生、助教授に久光先生、講師に伊藤先生と豪華なメンバーであった。
私は1年間、東京医歯大に研修に行かされ、昭和大第一期生を教えるインストラクター(ライター)となった。
昭和大の学生は、北大の学生とカラーが違い、金持ちの子弟が集まり、和気あいあいとしたアットホームな雰囲気があった。
いわゆる育ちの良い坊ちゃん、嬢ちゃんたちだった。

先日、歯科専門誌を読んでいると、昭和大の記事が載っていて、私が実習のインストラクター(ライター)をやっていた時の、学生のT君が教授になっている事が解った。
T君たちは昭和大の一期生で、大学側も力を入れていて、また学生も個性的で印象に残る人物が多かった。
T君はかなり不器用で、当方としてはフルマークをしていた。
ある時実習中にこんな事があった。
ちょっと地味目の、あまりマークしていない学生が、
「ウシジマ先生、お願いします」
と真面目そうに言ってきた。
「ウシジマ?」
(はてと、そんな名前のライターいたかな)
と思った瞬間、またしても
「ウシジマ先生・・・」と声をあげていた。
一瞬あれほど騒がしい実習室の、私が担当しているA班がシーンと静まり返った。
そんな時にT君が笑いをこらえきれないような声をあげながら、私の方を見ていた。
「ウシジマって、ひょっとして俺のことか!!」
私はそのおとなしい学生に近づいて呻いた。(実習以外で付き合いが少なかったその学生は、きっと牛島が本名と思っていたに違いない)
その声があまりにすっとんきょうだったせいもあり、T君ばかりか、私が担当するA班の全員が腹をかかえて笑っていた。
「ひょっとして俺のあだ名はウシジマか。
もうハンコはついてやらないぞ」
歯科学生にとって、実習のハンコがなければ、即留年というのはどこの歯科大に行っても常識であった。
そんななかで、T君だけが笑い続けていた。
「T、どうやら歯を掘るのはあきらめたみたいだな。
 歯を掘るのが嫌なら、土を掘るしかないぞ」
と北大直伝のライター決まり文句を発した。
すると「先生、洗足池にピクニックに行きましょう」とT君が言った。
「洗足池に君と行ってどうするつもりだ」
と私が言うと、
「先生を、得意の一本背負いで、池に投げ飛ばします」
「……………」
T君が柔道有段者だという事は知っていた。
しかし、フレンドリーというか、大胆不敵というか、自分はなめられているのか。
北大ではこんな事は、口が曲がっても言えない。
万が一言ったら、キックかパンチが飛んできただろう。
T君は開成高校出身者で、何浪かして昭和大に入って、自他共に開成ではビリと言っていた。
正直者で嘘が言えないが、なかなかにして頭はクレバーで、他人とは違う発想をする人物で、実は密かにその才能は認めていた。

ライターと学生たちは、案外と仲が良く、私もそのころ通い詰めていた新宿3丁目のオカマバーに学生を連れて行った。
宴もたけなわのころ、オカマのママが、学生にぞっこん気に入ったのがいて、先生に3万円出すから世話をしてくれと言った。
私も酔っぱらっていたので、その学生に一晩付き合えと言ったら、オカマが襲いかかり、必死に学生が逃げて行ったのには、笑ってしまった。
何だかんだと楽しく過ごしながら、昭和大で勤務医として過ごしていた。

現在、昭和大学は受験でも、私立では1、2番の難関校になり、国家試験の合格率でも、相当上位にくいこんでいる。
私が関わった1期、2期生からも3、4人が教授になった模様だ。
自分が教育に関わった学生から教授を輩出するのは、なかなかうれしいし、大学も評判が良いらしく、そういう風評を聞くと、第二の母校と思っているのでうれしくなる。
T君、いやT教授は、私も少し興味を持ち始めた摂食嚥下を専門としているようだ。
どこかのセミナーでばったり出会う事もあるかもしれない。
その時は「ウシジマ君」ではなく「イチジマ君」と言ってほしい。
雑誌を見ながら、懐かしく昔を顧みてそう思った。