師匠2:久光 久先生

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学生時代を終え、昭和大に就職し初めて臨床を教えて戴いたのが
「久光久先生」だった。
久光先生は東京医科歯科大を卒業後、大学院を経て、昭和大に助教授で赴任された。バリバリの“超エリート”だった。
何しろ初めて教えて戴いた先生が、その後何百人・何千人の先生の中でNo.1だったので、先生に対する“あこがれ”と共に、東京のドクター達の層の厚みを痛感した。
先生の治療は「人間ワザ」ではなかった。
目からうろこ・・どころか、その治療の完璧性に目玉が落ちるのではないかと思われる程であった。
その頃、昭和大技工部は“青島仁”という 日本でも有数のテクニシャンが技工室長として、久光先生とコンビを組んだ補綴物は、それは素晴らしいものであった。
ある日久光先生に急な出張が入り、どういうわけか医学部のさぞやえらいだろう理事さんの治療を私が受け持つことになった。
インレーを試適しようとしたら、全く取れなくなってしまった。
リムーバーで何回も取ろうとしてカンカンやっていると、その理事様にジロリと睨まれて、冷や汗がどっとふき出
してきた。名人の作るものは接着材なしでくっついてしまうものだと その時、悟った。
久光先生はプライベートでもずいぶんお世話になり、プライベートでは“仏の久光”であったが、臨床では“鬼の久光”であった。
いろいろこちらが尋ねても、臨床においてはあえて沈黙される時があったが、一言「社会人になったら臨床は“盗むもの”であって教わるものではない。自分も1回たりとしても手とり足とり教わったことはない」と一喝された。
当時はいろいろ反発する事があったが、今では「全く同感」と思う事が多い。
とにかく全くの生意気な若僧の私を、ようやく歯医者の一員となるように導いてくれた大恩人であると思っている。
ちなみに久光先生は現在、昭和大教授及び歯科人間ドック協会会長など、主に審美の面でいずれも大活躍されている“巨人”である。