クマが出た

今年はクマの当たり年とかで、わが山北医院のすぐ近くでもクマが出没したとのニュースをやっていた。

北大歯学部に入って教養の2年間は知る人ぞ知るバンカラと寮歌で有名な「北大恵迪寮(けいてきりょう)」に入っていた。

当時は1年先輩と2年後輩位からなる総勢15人位とアバウトなサークルを形成していて、何でもその仲間たちと行動を共にしていた。

卒業40年近くたった今でも年4~5回は集まって旧交を温めている。

大学3年の頃それら有志と知床半島の縦走をやろうという計画を立て、5人で夏休みを利用して知床へと出かけた。

5人で行ったのは確かだが、4人まで特定できるが、あと1人がどうしても特定できない。(皆貧乏で写真すら撮れなかったので)

知床はクマの密集地でS45年に福岡大のワンゲル部が日高でクマに襲われ3人死ぬという事故があり、自然はすばらしいが何とかクマさんに遭遇しないようにびくびくしたが、またその絶景には感動しつつ山行を進めていた。

2泊3日の予定で無事に縦走し終わり、山慣れしていないAが熱射病で少しやられている以外は無事で、カムイワッカの滝めざして下山に入ろうとして、皆で昼飯を食べながら休憩していると、突然ガサッという獣が動いているような物音がした。

責任感の強い1年後輩のKが偵察に行こうとする瞬間、どうしても特定のできない誰かが「クマだ」とか言って急に走り出した。

それを見た私も、熱射病にかかっていたAが腰を上げて走り出すのを見て走り出した。

その時の走りっぷりといえば、まるで飛ぶようなスピードで“火事場のバカ力”とはよく言ったもので、おそらく戦争があればこういう事に遭遇しただろうと思いつつ、熱射病のAが私の後方で走っているのを確認して脱兎の如く走った。

その時1番先に走ったのが誰だったかどうしても思い出せない。

山スキー部のOBで後輩だが年長のSは万事ゆっくりの人であり得ないし、偵察に行っていたKは見ていないので、私を疑った位だからそれもない。

熱射病のAは私のすぐ後ろを走っていた。

卒業して何年か経ち、そのクマ事件を皆で回顧していた時はやはり偵察に行ったKは私が一番最初に逃げたと思っていたようで、私も昔のことなのでどうでも良いと思い大して反論しなかった。

その時は皆命からがら林道に出ると、車が一台通りかかり、営林署か何かの職員で「今クマがやたらうろうろしているぞ。早く帰れ」と言われ「1人だけ乗せてやる」との事で1番学年が上だった私が皆からうながされて車に乗り、羅臼で車をチャーターする事となった。

羅臼は大変な田舎で、タクシー会社に行ったらあと3時間位たたないと車がないと言われ、1時間位警察を含めて救出(?)してくれる車を探した時、

「市島さん、本当に車探したの?」とすっとんきょうな声をKがあげて、車をヒッチハイクして無事に皆で帰ることができた様子で心底安堵した。

知床からの帰りのJRで偵察に行って確実に状況を見ていないKは私が一番最初に逃亡したと確信しているような素振りをしていたが、誰が一番最初に逃げたかはとうとう話題にのぼらず、その話はその後タブーになっていた。皆多少心にひっかかりがあったようだ。

卒業して20年ほど経ち、東京近郊に住んでいる者が、5、6人集まりその「クマ事件」の話が出ていたが、私の後ろを走っていたAは秋田在住で参加しておらず、真っ先に逃亡した犯人としてやはり疑われたのは私という事になっていた。

その時は、いくら反論しても証人がいないので、あぶなく皆私のせいでクマに食われるところだったという笑い話で決着した。

ワンゲルの先輩がテントの内と外でクマとリュックサックの引っ張り合いを一晩したとか、いきなり道でクマに遭遇してにらめっこをしたらクマの方が去っていったとか、北海道で山登りする連中は、1回や2回クマでびっくりしたような経験をしている。

今年8月14日に寮の皆で集合する事になっている。

今度こそは長年の疑惑と、あともう1人が誰だったか特定しようと思っている。