届かぬ年賀状(Part 1)

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世の中には几帳面というか生真面目というか、きっちり物事をはこぶという人がいるもので、
大学で同級生のOさんもその一人でした。
Oさんは出席番号が1番違いで、それは何かと小生を助けて戴いた方でした。
いつも一番前の席で熱心にノートをとっていて、それを見て安心した劣等生ども・・特に私は授業中に
惰眠をむさぼる有様でした。
Oさんのノートは“Oノート”と呼ばれ、試験時期は女子以外のクラスのほとんどがそのコピーを持っているという
定評のものでした。(教授の言った冗談まで書いてありました)
彼女は実に温厚で善良な性格でした。
卒業後、旅行中に知り合ったという北大医学部卒の現在の御主人と結婚され、一児をもうけ幸せな結婚生活を歩んでいました。
卒業後はすっかり疎遠となりましたが、時折の電話と年一回の年賀状のやりとりだけはずっと続いておりました。
2009年の正月、彼女からの年賀状には長文が書かれており、「あなたには随分、学生時代には助けられた」との事が書いてありました。“オイオイ、それは逆だぞ”と思いましたがあまり気にもとめませんでした。
昨年の正月、今まで途切れた事のない年賀状が届きませんでした。
何かおかしいと思いつつも電話をかけられずにいた所、2月に入って彼女の御主人から彼女が原因不明の病にとりつかれ、昨年の9月に亡くなった事を記したハガキが届きました。
もちろん同級生は誰1人としてその事実を知らせられなかったようです。
長い闘病生活と書いてあったので、おそらくあの長文の年賀状の時は病におかされていたのだと思うと、励ましの言葉1つかけれなかった自分を悔やみ、彼女の眼鏡の中の優しいまなざしを思い出すにつけ、思わず涙を禁じえませんでした。
まだ57歳という若さで天に召された彼女は、さぞかし心残りだったと思います。
今はただ残された娘さんと御主人の御幸福を祈るばかりです。