中村勘三郎

私は時々、実現性のない夢を見ることがある。
私の夢とは、場所は銀座のとある飲み屋に勘三郎が、ふいと現れ、次のような会話を交わすことだった。
私「勘三郎さんですね。私、ファンなんですよ」
勘「ありがとうございます。歌舞伎はお好きですか」
私「実は、私の母方の祖父は、阪東飛鶴といって、歌舞伎俳優だったんですよ」
勘「そうですか。父からお名前は聞いておりました」
とか何とか言って、歌舞伎談義をして盛り上がるという、たわいのないもので、歌舞伎座の周辺の飲み屋で一杯やっている時、そうなりはしないかと、夢想したものだった。
一度逢ったら、誰でも好きになってしまう男。彼にはそれだけの庶民性と、他人を思いやる気持ち、思慮深さ、それと誰にも負けない歌舞伎に対する“情熱”をはるかに超えた“情念”のようなものがあった。
森光子とともに、死んではならない、そして彼の死を容認したくなくなるような“日本の宝”が去ってしまった。
“歌舞伎俳優は親の死に目にもあえない”と祖父は常々言っていたが、京都からとってかえして、立派に舞台をつとめあげている二人の息子の勘九郎と七之助に、これからは期待をしていきたいと思っている。