喝(カツ)張本勲の思い出

日曜日の朝、今日も朝早くから張本勲が関口宏のサンデーモーニングで、カツを飛ばしている。

“カズは早く引退しろ”とか相変わらずの過激発言をしている。

 

50年程前、小学校6年の頃、なぜか気乗りがせず塾をさぼり、多摩川の川べりをサイクリングしていると、当時、東映フライヤーズの練習所が多摩川べりの川崎方面にあり、一人のいかつい男が、バッティングピッチャーを相手に打撃練習をしていた。

当時私の通っていた小学校は、新丸子と武蔵小杉の間にあり、教室の窓から、東映フライヤーズ(現日ハム)の2軍選手がランニングしている姿がクラスの窓越しに観察できるという環境下にあった、バッターをよく見ると、それは張本勲が黙々とバッティングピッチャーを相手に打撃練習をしている状況だった。

当時我々の小学校時代の自慢は「王にサインをもらった」とか「長嶋にサインをもらった」というような事で、そういう意味からいえば、張本にサインをもらえたら、かなり自慢になると思い、思い切って声をかける事にした。

ちょうどその時、張本が水を飲みに、私のいる1mほど先の水飲み場に現れた。

私はチャンスとばかりに、「張本さん、サインを下さい!」と叫んだ。

張本は私に一瞥もせず、ごろごろとうがいをして、そのうがいした水を私に吐きかけるように無言で、のっしのっしと去って行った。

 

巨人の多摩川グランドで、王にサインをねだった時は、結果的に私の隣の友人がもらえて、私はもらえなかったが、王はにこにこと笑いながら私達の所に来て、4~5人にサインをしてくれた。

サインを中断する時も「すまないね」というような合図をして立ち去ってくれ、周りへの配慮を忘れなかった。

王は少年時代、川上にサインをもらった事が人生最大の喜びとして、プロ野球に入るきっかけになったと、どこかの対談で語っていて、ファンサービスは忘れずに、少年ファンの気持ちを大切にしたいと言っていた。

さすがに世界の王である。

長嶋にサインをもらった時は、東京ドームになる前の後楽園球場で、そばを食べていたら、「長嶋だぁー」と声がかかり、夢中で日よけの帽子にサインをしてもらった。

何か「イイノー、もうイイノかぁー」などと奇怪な声を出して、いかにも長嶋らしいと思った。

 

それにしても、張本は少年ファンの気持ちをずたずたにして、その後巨人に張本が入っても、張本だけは応援する気持ちになれなかった。

張本に好意を持ったのは、後年、偶然に張本の伝記を読んだ事による。

彼が在日で、数々の差別に苦しんだ事、幼少時、火傷で右手を怪我して、そしてかなりのハンディを背負っていた事、野球選手になったのは、巨人の選手が焼肉パーティーをやっていて、自分の母親(父は早くに亡くなっていた)にも、それを食べさせたかったからだとの事。

自分も社会人となって何とかスランプから脱出しようと思った時、サインなどしてはおれないという気持ちになるだろうという心境に達したからだ。

張本勲の座右の銘の「あれほどの努力を人は運という」というものは、私の座右の銘としても使わせてもらっている。

いずれにしろ、あいまいな表現をする人間が多いなか、直言居士の張本のような存在も必要なのだと共感をもつようになった。