レジェンドたち

少し前、らいおんのDr.たちに将来開業する事があるとしたら、歯科医師会に入りたいかを問いかけたらば、30人中4人のみ入っても良いとの事であった。

この度の日歯連の不祥事を考えたら、ますます「歯科医師会嫌い」が進むだろう。

自分自身は小田原歯科医師会に入って30年以上経つが、歯科医師会に入って良かったかと問われたならば、断固として入って良かったと思っている。

小田原で開業時、小田原の生き字引とも言われる材料屋さんから、

「先生、小田原は有力な先生が多いです。中でもレジェンド(その当時はそんなフレーズはなかったが)と言われる先生が2人おられます。」と言われていた。

どんなにすごいかと言うと、その2人は毎回のように長者番付の上位にいて、ある時材料屋さんに、

「毎月の金属の支払いの額が大変だ」と言ったら(当時開業して1年後ぐらいだったと思う)、

「レジェンドA、B先生ともに先生の3倍ぐらい発注がありますよ」と言われ、たまげた。

なんでそんなにすごいのか。

まず、レジェンドA先生に、歯科医師会の宴会の3次会ぐらいになると近づいて、

「先生、先生のようになれる秘訣を教えてください」と言うと、

「市島君、僕は何も変わった事をしていないよ。1つだけやっている事と言えば、便所掃除ぐらいかな」

「便所掃除……??!」

レジェンドの話によると、一番人がやらない事を率先してトップがやれば、後は自然に従業員はついてくるのだと言う。

「さっそく明日からやってみます」と言うと、

レジェンドはオーラいっぱいの笑顔で、

「そう言って続いた人は一人もいないよ…」と言う。

何くそと思い、さっそく取り掛かると、掃除を頼んでいるおばさんが「先生、一体何を始められたんですか」と心配顔でのぞきこみ、

従業員の間で、とうとう頭が狂ったかという評判がたち、まさしく三日坊主で撃沈となった。

後日レジェンドに「やはり無理でした」と報告すると、レジェンドAはいい話を聞かせてくれた。

その頃、彼は自他ともに認める、売上、患者数ともに小田原地区でトップだったが、

「市島君、今でも翌日のアポ帳が真っ白になっている夢をよく見るんだよ。

そして脂汗をかいて、目が覚め、夢で良かったと思う日が結構あるんだ」

との事で、開業医として、プロとして、すごく執念を感じさせてくれた。

そしてまた言っていた。

「昔、歯医者が少ない頃、患者さんを断る歯医者が出てきたが、自分は断固として断らなかった。小田原は義理堅い人が多いのか、あの時は救われた、もう先生の他には行きません、という患者さんが多いよ」との事であった。

 

 

レジェンドA先生もB先生も、仕事っぷりはすさまじかったが、遊びっぷりも半端ではなかった。

万札の束を右と左のポケットに入れ、タクシーで銀座まで行って豪遊して使い切るという話は、今の歯医者では信じられないような豪快さだった。

ある時、歯科医師会にゴルフクラブというものがあり、レジェンドA先生、レジェンドB先生と、今は亡き真鶴のドクターMと私が組んでスタートをした。

レジェンドA先生もレジェンドB先生も、ゴルフは名人クラスで、さぞかし紳士的なプレーをすると思いきや、Mと私が2人とも飛ばし屋で1ホール目で調子をあげると、なんと信じられない行動に出てきた。

2ホール目でMがインパクトの瞬間に2人が申し合わせたように

「ワアー!!」という大合唱をして、びっくりしたMのボールは右にひん曲がり、OBとなってしまった。

Mはびっくりした顔で、レジェンドA先生とB先生に抗議したが、2人とも笑って取り合わない。

次に私が打つ番となり、同じようにレジェンドA先生とB先生は合唱して、私もあえなくOBとなり、それからは調子をがっくりと落とした。

Mは終わった後、怒りが治まらないようで、

「勝つためには何でもやるんだ」と憤慨していた。

私は彼等の「負けず嫌い」と雅気あふれる合唱に、怒りを覚えるより笑ってしまっていたが、その後の彼らの生き生きとしたプレーぶりには、一度波に乗せたらすさまじいと思って、ほとほと感心してしまった。

レジェンド達は人に負けるのは大嫌いという特性がある。

レジェンドA先生は私より17歳年上で、B先生は10歳年上であるが、とてもその年齢には思えなく若い。

2人とも健康には十分注意して、ゴルフを軸にして、体を動かすことに余念がない。

レジェンドB先生に健康管理について質問すると、

「市島君、僕は毎週プロについてもらってジムに行っている。

プロがついていないと何だかんだと言い訳をしてさぼってしまうからな」と言っていた。

なるほどと思った。それが若さを保つ秘訣なのだ。

レジェンドA先生もB先生も、質問すれば何でも気さくに応じてくれ、歯科医師としての人生の哲学を教えてくれた。

 

 

レジェンドB先生とは、お正月の休日急患当番で一緒になった。

始まると同時に、レジェンドB先生に、私はあっという間に魔法をかけられ、単なる一日勤務医に成り下がってしまう。

患者とのやりとりは独特で、瞬時に従業員の心をつかんでしまう。

レジェンドB劇場の始まりである。

このようにして患者はB先生に心を奪われ、ファンになってしまうのだなと思った。

 

 

A先生B先生以外にも、いろいろな伝説となるような先生は多数いて、たびたび行なわれる歯科医師会の宴会でも車座になり、老若男女相和する時代が続いていた。

しかし、いつの頃か我々歯科医が不況の時代に突入し、そういう英雄豪傑の出現が極端に少なくなってきてしまったようだ。

A先生もB先生も、それぞれ70代、80代となられたが、未だにお元気で、ぽっと出の軟弱ドクターなぞ及びもつかない程、フルタイム働かれているようだ。

先日、B先生から懐かしくお電話があった。

休日急患当番の日を代わってくれないかとの事で、その圧倒させられる迫力に、私は用事があるのを忘れ、レジェンドの前にあっさり快諾をしてしまった。

数年前と変わらず声に張りがあり、ますますレジェンド健在と思われた。

現在の我々が、今の若い先生達にレジェンド達のように輝くようなオーラを発する事ができるか否か。

甚だ疑問であると思うが、歯科医師会によって、何でも相談できる同年輩の仲間も出来たし、そう毛嫌いせずに歯科医師会に入ったらいいというのが実感である。