ドーハの悲劇

1993年、カタールで行われたFIFAワールドカップアジア最終予選で、手に汗を握りながら観戦をしていた。
ロスタイムに入り、イランの乾坤一擲のボールが同点ゴールを決め、日本のワールドカップ初出場は阻まれた。
私は息子2人と見ていて、3人で「アーアァー」と雄叫びをあげた。

まさしくその時、千葉で開業している同級生から電話が入り、
「市島驚くなよ、Iが死んだ。自殺らしい。」
との事で、人生で初めて腰が抜けて立てなくなった。
今から29年前の10月28日。39歳の時だった。

Iとは寮で同室、勤務先もS大学で一緒。
ただし、実家は栃木県で、遠く離れた北海道の苫小牧で開業した。
人生であんなに驚愕した事はない。Iとは何度一緒に旅行に行っただろう。
文字通りの親友で、1ヶ月に1回以上は必ず電話で連絡をとりあっていた。

Iの自殺から2ヶ月程前、Iの母親から、息子の様子がおかしいので
飛行機代を払うからちょっと見に行ってほしいという要望があり、
準備をしているとIから連絡が入った。
「市島、お前も忙しいんだから俺に構わないでほしい。」
と相変わらず優しいIに諭され、会いに行くのを取り止めたのだった。

あれ以来、サッカーを見るたびに思い出し、
ドーハの悲劇どころか、ドーハの地獄のようになった。
時は経ち、一時見ることが出来なくなったサッカーをようやく見れるようになった。

日本には勝運があり、ドイツやスペインに勝利し、サッカーの一流国入りを果たした。
森保監督のマナーは完璧で、日本代表がドイツ戦後、ロッカールームの清掃をして帰ったことや、
サポーターがスタンドを清掃するのを見るにつけ、嬉しくなった。

40歳前に亡くなったI。生きていたらどの様な人生を歩んでいただろう。
あまりにも短く、早い30年だった気がする。