岸と安倍

TVを見ていると、安倍総理がなにやら民主党の議員に対してヤジを飛ばしている。
昔の政治家、特に安倍さんの祖父の岸さんや大叔父の佐藤総理は、このような振る舞いは絶対にしなかった。

私が幼稚園の頃、日本はまだ貧しくて、ごく限られた家にしかTVは普及していなかった。当然日本人の娯楽は映画が中心となっていた。
映画はたいてい2本立構成になっていて、その間にニュースがはさまれていた。
時の総理大臣は岸信介で、アメリカの大統領はアイゼンハワーであった。
岸はアイゼンハワーに必死の日米安保交渉を試みていた。
画面に出っ歯の岸さんが笑っている顔が映ると、場内に笑いのうずがおこり、アイゼンハワーが映ると、うちの母親などは、映画俳優のようなその端正な顔つきにため息をついていた。
なんでこうも違うのか。日本という国は世界的にどんな位置に属するのか、子供心に疑問がわき、父親に聞いてみると、
「日本は戦争に負けた三等国家だからなぁ」と言い、祖母がアメリカに当時住んでいたこともあり、アメリカは一家で家族がそれぞれ車を持っていたり、部屋ごとにテレビがあったり、庭はどの家も広い、などアメリカの豊かさを力説していて、私を驚嘆させていた。
私はそんな貧乏な日本でも充分に満足していたが、アメリカの豊かさへの渇望感は当時の日本人なら皆持っていたのではないだろうか。
ともあれ、その当時の岸は悪役で、「出っ歯の冴えないおじちゃん」というのが子供たちの評価だった。
子供仲間で、安保ごっこというのが流行っていて、
「アンポ、ハンタイ」と言いながら、スクラムを組んで押しくらまんじゅうをするもので、当時の小学校1,2年生は今に比べると早熟だったと思われる。
60年安保の時、「隣の後楽園球場は満員だ」と言ったり、アイゼンハワーが来日予定の時、そのボディガードをヤクザの親分に頼んだりと、やる事は激しかったが、あえて悪役と言われてもへこまない彼の信念は、その後の「平和日本」の礎となった事は認めざるを得ないだろう。
やがて、人々が理解してくれれば解る。自分は日本国の国士だという彼の意気込みは、私が成人になった時に感じるようになった。
その後、晩年は昭和の妖怪と言われ、御殿場に住んで影響力を発揮した。
安倍を見るとなんか、祖父に比べるといい人という感じはするが、政治家としての凄味は岸の足元にも及ばないではないか。
岸は晩年、養生訓として
1)風邪をひかない
2)転ばない
3)義理は欠く
と言っていたそうだが、時代の変遷とともに岸の評価が変わったように、私も3条件がだんだんと近づく年頃になってきたような気がする。