今日は久しぶりのオフ、しかも秋晴れ。
と思った瞬間に電話が入り、ある医院の衛生士チーフが、
「理事長、○○先生に注意して下さい。また助手の□□さんと言い合いになりました。客観的に見て、□□さんの方が正しいと思います。理事長、今度こそお願いしますよ!」
どっと、グレイになる。
人に注意するのは苦手である。
よく「怒る」と「叱る」は違うと言うが、この年になってもまだ「悟り」の境地に入っていない。
どうしてもだらだらとお説教をして、いつの間にか「怒る」の一方攻撃となってしまうからだ。
そんな時、昭和大学病院時代の恩師の和久本教授を思い浮かべる。
「市島君、ちょっと」
大学を卒業したばかりの下っ端医局員の頃、よく教授室に呼び出された。
そうすると最初から9割位は「よくやっている」とか「こういう事を○○先生が褒めていた」と褒めまくってくれる。
馬鹿な私はすっかりといい気分になり有頂天になっていると、最後の最後にぐさっと本論に入ってくる。
それがいかにもタイミングよく、素直にこれから気を付けようと思ってしまう。
後から思うに、最後の1割が言いたかった事、伝えたかった事の99%だったのだと素直に納得できる。
まさしく「叱りの達人」であった。
箱根の院長室に飾ってある5年前に亡くなった教授の遺影に、
「どうしたら良いのでしょうか」と尋ねるのだった。
教授はいつも笑いかけた顔で(写真だから当たり前だ)
「相変わらずだなぁ」と返答してくる。
また教授は言っていた。
「市島君、プレゼントとか接待とかする時は自分がちょっとイタイと思うものをしなければ、相手に響かないよ」
確かにそうであった。
教授に連れて行ってもらった東京の高級天ぷら屋や大阪のナイトクラブは、あの当時行こうと思っても行けないような場所で、今でも明確にその時の事を覚えている。
おそらく一生忘れないであろう。
私が40歳になる前、ちょうど和久本教授が63歳位で、現在の私と同じ位の年齢だったと思う。
教授を引退して、実家の和久本歯科で働かれていたと思うが、矯正のセミナーでばったり出逢った。
その時教授は、
「矯正は前から勉強したかったんだ。やってみるとおもしろいよ」との事であった。
教授は歯科保存学のタイト(泰斗)で、そんな人が0から矯正学に取り組もうとしていたのである。
私自身は、現在それを思い出しては自分のふがいなさから脱出しようと懸命になっている。
真の教育者とは、そして人生の達人とは死しても黙して教えを与えるものだと思った。