長嶋と松井(残り少なくなった今年を思う)

もう今年も残りわずかで終わろうとしている。
今年もさまざまな事があった。
1月に大雪が降り、てんやわんやした事をいったい何人の従業員が鮮明に覚えているだろうか。かくの如く歳月の過ぎゆくのは早い。

今年の記憶すべき出来事としては、東京オリンピック招致決定と共に、長嶋茂雄と松井秀樹の国民栄誉賞授賞があげられる。
長嶋は我々世代のヒーローであり、憧れの人でもある。
私が20代後半のころ、自由ヶ丘に住んでいる時があり、よくダイエットのため、近所のサウナ風呂に出かけて行った。
一人前にも、そこでマッサージなどをやってもらっていると、トレーナーが、そこによく長嶋が現れるとかで、長嶋の話で盛り上がった。
トレーナーいわく
「とにかく変わった人だねぇ。何言ってんだかさっぱり解らない事を言う人だよ」
と言っていて、サウナ風呂には平気で1時間も入っていて、真っ赤な顔をして出てくるそうで、
「カラスの行水の、アンタとは全く正反対だよ」と常々言っていた。
後年、長嶋が脳梗塞で倒れたのも、こういう、水を飲まないで我慢するというカラカラの血管状態と、フカヒレが何はさておき好きだという彼の嗜好からきたものではないかと思った。

我々が少年のころ、皆野球帽をかぶって登校していて、必ずG文字が書いてあり、背番号は長嶋の「3」であった。
少年草野球の目指す頂点は3塁を守り、背番号は「3」がお決まりで、それをとるために悪ガキ共は、あっちこっちで小競り合いが発生する程であった。
大分元気になったものの、右手が不自由な長嶋を見るのがつらいのは、私だけなのであろうか。
国民栄誉賞後の球場パレードの時、松井は長嶋の、障害が残る右半身、腕を気遣い、長嶋に合わせて左手で手を振った。
松井を物語るエピソードとしては、2000年~2004年にJALのイメージキャラクターを務めていた時、そしてその後もJALに乗り続け、2010年JALが経営破綻した時に、JALの社員に心を揺さぶるメッセージを送ったり、巨人時代には外車に乗っていたが、メジャー時代は日本車を使ったりすることで現れている。
松井は、長嶋の恩についても、まずもって授賞時に語った。

今年もアメリカをはじめ、韓国、中国としばしば出かけたが、帰ってくるたび、年をとるたびに日本の良さを感じるようになった。
長嶋、松井に共通しているのは、
1)自分が受けた恩は決して忘れない
2)人の悪口や、陥れる事を言わない
3)義理堅く
4)どこまでも気遣いができる人
なのであり、だからこそ、多くの人から応援され、引き立てられ、盛り立ててもらえるようになったと思う。
日本の宝といえば、いろんなものがあるが、この両人はまずもって世界にも誇るべき立派な日本人の中の日本人と言えよう。
特に松井は、だからこそ、ヤンキースの一員として、日本人として初めて引退セレモニーをやってもらったのだと思う。

私は還暦となり、今さら自分のスタイルを変えられないと思っているが、若い勤務医の先生たちには、是非、目標としてこの両者を考えてもらいたいと思う。