寒中見舞い(O家の人々)

寒中見舞いは嫌いである。思いもよらない人々の“お別れ”に直面するケースが多いからで、今年もショッキングなお別れのお知らせがあった。

昭和大に4年勤務していて、いよいよ開業という年の年末、結婚式に来てもらったお礼も兼ねて、12月に13回も忘年会をやるという暴挙を行なった。

結果、肝臓をひどく痛めGOT GPTが300まで到達して、新婚早々自宅療養という憂き目にあった。

当時は開業目前で、横浜のある町のダイエーの中で開業する事に

8割がた決まっていたが「ドクターストップ」がかかり、開業は当分延期という事となった。

当時かかっていた医者は、父親が歯医者だったとかで、

「開業は当分延期にして、自費を中心とした患者があまりがさがさ来ないところにしなさい」

との事で、自費主体の蒲田にあるO歯科にお世話になる事となった。

O歯科は御主人が亡くなられた歯科医院を未亡人とその娘さんとで一族経営しているところで、私はそこの雇われ院長として働かせてもらう事となった。

O家の人々は全員情が細やかで、本当に親切にして戴き、特にこの度亡くなられた娘婿のTさんには肝臓の名医を紹介して戴き、私の体調もみるみるうちに改善されていった。

悲報に接した時、明るく朴訥とした薩摩隼人のTさんの顔を思い浮かべ、本当につらかった。

4年前肺がんという事を聞いてから、ついつい電話をかける事さえ怖くなり、疎遠になってしまった事を後悔した。

O歯科で、今でももっとも印象に残っているのは、給料の過払いの件だろう。

ある時、当時は現金手渡しで給料をもらっていたのだが、なんと50万円も余分に入っている事に気づいて、すぐに未亡人に

「給料50万円も多く入っていたので、これお返しします」

と言ったところ、

「まぁ、先生は正直者だねぇ。一旦払ったものだから、とっておきなさい。こちらのミスなんだから」との事で、こちらも

「そういうわけにはいきません」と何日か押し問答をしたが、

「先生、出世払いで返済してもらうから」

と、とうとう受け取るはめとなった。

しかし、予想していた事ならまだしも、突然の申し出に動揺もしないその度量の大きさに感心した。

辞める時も、思いもよらない退職金をもらい、NHK「あさが来た」で大番頭の雁助が「加野屋」を辞める時、深々と一礼していたが、あれと同じように私もO歯科に向かって最敬礼して去った。

 

開業して、こちらも勤務医を雇うような身分になった時、経理を頼んでいたパートのおばさんが青ざめた顔をしてやってきた。

勤務医のK君に50万円余計に支払っているとの報告をしてきた。(もう銀行振込になっていた)

もう1ヶ月も前の事で、1ヶ月間気付かなかったとの話であった。

度量の小さい私は、

「K先生、給料先月50万程多く振り込まれていたのに気付かなかった?」と聞くと、K先生は、

「へぇ、そうですか。全然気が付きませんでした。家に帰って家内に聞いてみます」との事で、いかにも嘘くさかった。

翌日になってK先生曰く、

「給料は全部使ってしまったので、もう一銭もありません。

大体、間違えたそっちの方が悪いんじゃないでしょうか」

との事で、一瞬かっとなったが、Oさん一家を思い浮かべてこう言った。

「そうだな。やはりそれは俺が悪いのかもしれない。この話はなしにするよ」

Oさんの存在がなければ、私はなじって、翌月の給料から差っ引いてでも回収したと思う。

開業してから、何回も騙されたり、裏切られたりした。

Oさん一家も、歴代の勤務医の中にはひどい人間もいて、つらい思いをしたがじっと耐えたという話をしていた。

裏切られた時、Oさん一家の事を思い出してはじっと耐え抜いた。

Oさん一家はクリスチャンで、その影響であれほど「清く、正しく、美しい」のかと思った。いわゆる大人としての対応を学ぶことができた。

「出世払いでいいのよ」と言ってくれた未亡人もすでに故人となったが、お中元お歳暮を送っても、

「先生、お返しするのが大変だからもう送らないで」との事で、

何%かの恩返しも出来ていない状態だった。

O家にお世話になった時、私はまだ28才。

今から思うと、その若さゆえ傲慢で強引で、さぞかし「嫌な奴」と思われていたかと思う。

追想すると顔が赤らむ様な事も平気でやっていた。

技術的にもまだまだ未熟だったし、精神的にも子供だった。

なんであんなにうぬぼれて生きていたのか、穴があったら入りたいくらいであった。

寒中見舞いには、香典、供物は遠慮させてもらうという事と、4年間入院が多く立ち直れない程だと記されていた。

香典も供物も送らず、思いのたけを精一杯、その当時赤ん坊だった長男次男の現在の様子を書いた。

数日後、感謝いっぱいのことばにあふれる返事を戴いた。

かけて戴いた温情の何%かもお返しできないが、人の心の中で人の気持ちは、例え死が訪れても生き続ける。

世の中には、毎日逢っていても何ら心に響かない人間もいれば、もう何年も前に逢っただけなのに心の中に生き続ける人がいる。

Tさんもそんな一人だ。

夫婦には一人娘がいて、Tさんの「眼の中に入れても痛くない」という対応は理想的な父親像として、私の心の中に刻まれていた。

毎日毎日「有難い」そして「見習いたい」と心の中で思い続ける事が、最大の供養だと思っている。