土俵の鬼・若乃花を悼む ~力道山の黒タイツの謎

昭和を代表する名横綱・初代若乃花が先日、天国へと旅立った。
私が小学生の頃「栃若時代」を築き、当時の日本のスポーツ界を大きくリードし続けた。
昭和35年の栃錦との全勝対決は今でも脳裏に焼き付いている。
私の父母は東京出身であったので、我が家は当然ながら、江戸っ子横綱・栃錦を応援していて、
テレビを囲んでの一家の観戦となった。
その戦いは手に汗握る名勝負で、結局 若乃花が“寄り切り”で全勝優勝した。
我が家は大いに落胆し、母親にいたっては失意のあまり涙まで流して悔しがったほどだ。
現在からすれば大げさかもしれないが、そのころ娯楽というものが少なく、大相撲は数少ない国民的行事だったと思う。
私は両親の影響もあり、若乃花がどうしても好きになれなかった。
若乃花を身近に感じたのは彼が書いた「私の履歴書」の連載を日経新聞で読んでからだ。
その時代を代表するスポーツ界の雄には、プロレス界の力道山がいた。
痛烈な“カラテチョップ”で、ばったばったと悪役外人をなぎ倒すのは、実に胸がすくものがあった。
彼のスタイルはというと、いつも黒タイツをはいていた。
何で力道山がタイツをはくのか、足が短いのを隠すためと、まことしやかに級友が言ったのを覚えている。
「私の履歴書」によると力道山は若乃花の兄弟子で、その猛烈なシゴキで若乃花を鍛えあげたそうだ。
ある時河川敷で稽古をしていて、あまりの激しさで若乃花は失神しながら力道山のスネにかぶりつき、
スッポンのように離さなかったそうだ。
力道山は若乃花が噛みついて離さないので、川まで引きづり込んで、ようやく噛みつきから逃れたが、その時のキズが力道山のスネに残っていて、スタイリストの力道山はそれを人に見られるのが嫌で黒タイツをはいていると書いてあった。
いやはや、すさまじい話である。
昨今の大相撲の不祥事を見るにつけ、現在では失われてしまった、まだまだ貧しさから抜けきらない日本人の魂のようなものを感じる。
全勝対決の後の栃錦をフィルムで見ると、笑みを浮かべているのが観察される。
それは、みっともない相撲はとるまいとする当時の関取の美意識からくる“お互いよくやった”という笑いだったと思う。
昭和35年から50年がたち、日本人は多くのものを得て生活は飛躍的に便利になった。
しかし、多くのものを失ってしまったと、若乃花のように波乱万丈の土俵人生を思うにつけ、それを痛感する。