予知能力

2020年の東京でのオリンピック開催が決定した。
私は、先のオリンピックの時に小学校6年生で、ちょうど母親が胆石の手術で関東労災病院に入院しており、病院の屋上から開会式の日に、自衛隊機がくっきりと澄み渡った青空に五輪の輪を描いていたのを見て、ひどく感動したのを覚えている。
マラソンの円谷幸喜が国立競技場に入った時、皆で声を上げて応援したのにもかかわらず、イギリスのヒートリーに抜かれて3位となり、皆で泣いた事(本当に泣いた)、東洋の魔女といわれた大松博文率いるバレーボールチームや、重量あげの三宅義信の活躍など、その後もくっきりと印象に残っているものも多く、オリンピックの影響の大きさを実感してきた世代であったと思う。

小学校の時、S君という、大変仲良くしていた友人がいた。現在はS生命の重役にまで出世した男で、S君が
「市島君、今度のオリンピックが終わったら、50年くらいオリンピックはないよ。50年後にはきっとある。そうすると、我々は60才くらいだ。我々は東京で2度オリンピックを楽しめる貴重な世代なんだ」と言っていた。
S君の父母は兄弟が多く、当時“居候”として5、6人おじとかおばと一緒に住んでいた。S君は誕生日が1日違いであったが、その“居候”のせいか、大変早熟であり、当方より圧倒的に物知りであった。
将棋、トランプ、ボーリング、切手収集と何をとっても、彼は私より一歩より二歩も上であり、やっとの事で野球だけは、彼よりも少し上手だったような気がする。
それにしても、12才くらいの少年が50年後の事を予言するのは大したものだと思う。
その当時、60ぐらいになったら、一体どういう社会になり、どういう事をやっているのだろう、オリンピックをどういう立場で迎えるのだろうと夢想したものだった。
その後、S君はストレートで慶応大学に入り、S生命に就職し、その後も何かにつけ、いろいろアドバイスを受けてきて、刺激をし合う間柄となっていった。
S君にとってみれば、いつになっても私は“一日違いは大違い”の弟分で頼りなくみえるらしく、兄貴風を吹かしていた。
“しょうがないなぁ、そんな事も知らないの!!”が彼の口癖であった。

2020年のオリンピックの時、果たしてどのような状態に自分はあるのか、日本という国はどのように変化するのか、そしてS君はどのような老後を迎えようとするのか、久しぶりに会って、彼の
“しょうがないなぁ”が聞きたくなってきた。