餃子が食べたい

当法人では1年で1回、健康診断を行う事にしている。

私の50年来の友人のZ市で眼科を開業しているSは、昔から徹底的な合理主義者で、ガン検診で胃とか肝臓はやる意味があるが、肺はX線で写る時にはもう手遅れで、それゆえ肺のX線は撮らないと言っていた。

「肺ガンとは恐ろしいものなんだなぁ」と言うと、こっくりと頷いていた。

箱根で事務をやってもらっているKさんはいつも屈託のない笑いで周りを和ませてくれる。

そんなKさんが昨年の健診では、胃にポリープがあるとかで「大丈夫か」と言うと、「いつもおいしくご飯が食べられるので大丈夫です」とアフリカの原住民的発想で、まるで意に介さない。

今年はというと、周りからの話では肺でひっかかったようで、医者から再度検査をやって、それでひっかかったら静岡の癌センターか築地の癌センターに行ってもらうとの事。

「ギョギョギョ」

さぞかし落ち込んでいるかと思って「大丈夫か」と言うと、「大丈夫大丈夫」と言って意に介さない。

私も含めて他の人間がそんな事言われたら、さぞかし落ち込むと思いきや、平気のへいざな顔をして相変わらず豪快な笑いを振りまいている。

再検査の結果はセーフで、皆ほっと胸をなでおろした。

私が大学に入学した時同級生は40人だったが、そのうち他界したのは男3人女2人の5名となっている。

彼等の共通点は皆“命根性”が強いという事であると思う。

必要以上に健康に気を配り“病は気から”というように、何ともなくても本当に病気になってしまうというような人たちであったと思っている。

当院ではバリウムでの胃の検診はやってもあまり意味がないとの理由で胃カメラに変更した。

ところがこの胃カメラが飲み込むときに苦しいという訴えがあちこちであり、静脈内鎮静法での施行にしようとの事を進言したが、豪胆なKさんにあっという間に否認された。

「少し我慢していれば大した事ないんですよ」と一切のそんたくが効かない。

「肺ガンの疑いがかけられた時、平気だったのか……」と聞くと、笑いながら「私なりに観念して、K駅の近くの餃子屋に行こうと思いました」

「餃子屋、何で?」

「死ぬまでに念願だったあの餃子屋に行けば本望だと思いました」

「………」

死ぬまでにやりたい事が餃子屋とは……。

そこらへんの夢しか従業員に描かせない自分の力量が悪いのか、彼女の大らかな性格のゆえか、しばし考えさせられる一時でした。