先日叔父の法事があり、坊さんの読経を聞きながら、叔父との昔話を思い出していた。
叔父と演劇の話をしていて、“バンツマ”ということばが頻繁に出てきた。“バンツマ”と言われて、阪東妻三郎(田村正和の父)のことだという認識はあったが、いまひとつピンとこず、怪訝な顔をしていると、叔父が“バンツマ”知らないのかと聞いてきて、
私が「よく知らない」と答えると、驚いたような顔をして
「そうか、俺も年をとったものだなあ」と言って、ため息を大きくついた。
時は流れて、先日“加山雄三”を知らない従業員がいるとかの話が出て、つくづく年月の移り変わりを感じ“俺も年をとったものだなぁ”とため息をついた。
箱根の診療所の受付のKさんに当然知らないだろうと予測をしながら「脱脂粉乳って知っているか」と聞いたら、当然のごとく知らず、
目をぱちぱちさせ、何でそんな事を聞いてくるのかという顔をした。
脱脂粉乳っていつからやめたんだろう。
小学生のころ、担任が、給食を残すと烈火の如く怒る人で、鼻をつまんで飲んでいたものだった。
およそこの世の中で、私が味わった食べ物の中では一番まずいものであった。
クラス一の秀才のT君によると、脱脂粉乳はアメリカの寄付によるもので、アメリカはそのまずさゆえ、豚やニワトリのエサとされているとかの話で、T君は
「日本は戦争に負けた三等国家なんだから、しかたないだろう」としたり顔で言った。
私はといえば、私の脱脂粉乳飲み係のN君をうまく手なずけて、脱脂粉乳を先生の目を盗んでは飲んでもらい、私の尊敬する人間の第一号にN君はなっていた。
N君はまた、勉強はからっきし出来ないが、かけっこだけは、とび抜けて早く、いつもリレーの選手だった。
「あいつのところは夕食もろくろく出ないような家で、お前の脱脂粉乳とコッペパン食いで、腹を膨らましているのだから、そんなに感謝しなくていいんだ」とまたまたT君がしたり顔で言っていた。
歳月は流れ、日本は豊かになり、あの、膜のはるような脱脂粉乳は風化され、忘れ去られていってしまった。
しかしながら、日本は、韓国、台湾に追いつかれ、追い越されるようになってしまっている。
年に1回でいいから、脱脂粉乳を学校給食で出し、我々の父や祖父たちは、こんなものを飲んでいたんだと味わわせるのも教育ではないかと思う。
日本が再び“三等国家”とよばれないようにするためにも。