嗚呼クラス会

小学校のクラス会に出かける。

我が小学校は川崎市立西丸子小学校で、駅でいうと東横線武蔵小杉と新丸子から等距離の多摩川べりにある小学校で、今年で創立60周年を迎える。

担任は松本健治先生で、今年で80歳になられるが非常にお元気だ。

会場は自由ヶ丘で、定刻通りに出かけたが、嫌な予感が当たり、ちょうど先生とその隣の席のみ空いていて、そこに座ると、なんと対面には仇敵のI女史とS女史が座っていた。

前回(2年前)にI女史が

「イチジマ君、あんたいろんな所で歯医者やってるみたいだけど、武蔵小杉と新丸子だけはやらない方がいいよ」

私が「なんでよ…」と言うと、待ってましたとばかりに、

「あんたの悪たれは有名だからね」とか言う。

私がきょとんとしていると、

「あんたさぁ、覚えてないの?私があんたの後ろの席のとき、あんたはよく立ち上がって、おしりを向けてブゥーと放屁を私の顔めがけてしたのよ。私は悶絶したよ」

今回は何が飛び出してくるか、S女史の横に、6年の時に転校生で入ってきたM女史がいた。

旦那さんと一緒にタイに永住しようかと考えているとの事で、

「イチジマ君は当時はシャイで、優しかったのを覚えているわ」とか言われて、こっちはタイで一体俺が何をしたのか疑問に思っていたら、「タイじゃなくて、シャイと言ったのよ」との事で、シャイなんて何年ぶりに言われただろうと思って、少し気分が良くなっていると、さらに隣に座っているU女史に

「マツジュンに似ていてかわいかったわよ」と持ち上げられ、

「アラシカヨ~」と、さらにいい気分になっていると、

「それなのにねぇ……、いまは」

とIもSも交えて大きなため息をつく。

このため息って一体何なのだ。

持ち上げられたり、突き落とされたり忙しい。

松本先生はお元気で昔話に花が咲く。

幹事役のS君は、S生命の重役まで上りつめて、さすがに司会進行もきめ細やかで、誕生日が一日違いで向こうの方が一日早く生まれたお兄さんで、小学校1年からのおつきあいでオールドフレンドである。

S君は将棋が強く、いろいろな事に物知りであった。

「イチジマ、何にも知らないんだなぁ」

と世の中の道理をよく教えてくれた。

とくに将棋は1回も勝った事がなく、よく完璧にこてんぱんにやっつけられて、悔し涙にくれて彼の家から帰宅したのを覚えている。

彼の家は、両親が長男長女で居候が常に2、3人、多い時は4、5人いて、そのおじおばに鍛えられたのだろう。

いずれにしろ、私にとって小学校に入って早々、人生の大きな壁であった。

会も終盤にさしかかって、M君という昔は泣き虫だった同級生が、川に溺れた子供を助けようとして自分が死んでしまったという悲しい話を聞いた。

持ち上げられたり落とされたり、相も変わらず慌ただしい一日であった。

クラス会 懐しく やがて悲しき 春の日長かな

 

お粗末でした。

嗚呼クラス会

マツジュンではなくピカソを目指してた頃の写真