歯科医師国家試験を考える

~はじめに~

北大に在学中の頃、医学部歯学部の合同講義というのがあり、医学部生と歯学部生が一つの教室にみんな入って、授業を受けるというシステムがあった。
授業が終わり、あまりに回りにゴミが巻き散らかしてあったので、気分が悪くなり、ゴミ箱にそれらをまとめて捨てに行くと、掃除をやってくれているおばさんから
「歯学部の生徒さんかい、めずらしいねー、偉いよ」
と言われてビックリした。
おばさんは続けて
「全く医学部の学生はマナーが悪すぎるよ。こんな人たちが将来お医者さんになるのかと思うと、ぞっとするよ。」
と言ってきた。
おばさんによると一番ゴミと巻き散らかさないのは水産学部で、次に理学部。
そして歯学部、医学部の順だそうで、まるで入試の難易度と逆走するかのようだった。
このおばさんの言葉は、真理をついているような感じがした。
水産学部は確かに医学部の合格点の半分ぐらいで入学できたはずだが、寮にいた水産学部の先輩達を見ても、人間味のあふれる魅力的な人が多く、一方において医学部の方は、プライドばかり高く、貧乏寮には1人もいないというようなあり様だった。
医師と歯科医師に必要な条件は、医療と真正面から向き合い、患者を何とか自分の力またはチームワークで、疾病や疾患から立ち直らせようとする真摯な気持ち、「人間力」が必要なのではないだろうか。
この疑問は、医療の現場の真っただ中にいる現在でも、寸分失われていないどころか、ますます強くなっている。
果たして、人並み外れた学力は我々に必要とされるものかどうか。
学力優先の国公立を頂点とする現在の受験システムに、真っ向から疑問を呈したい。

歯科医師国家試験(以下、国試とする)の季節がやってきた。
国試が難しくなり1000人以上ともいわれる難民というか、浪人が出ているのを御存知だろうか。
昨年の今頃も国試についてひと言言いたかったのだが、長女が国試の受験前なので、それが終わってから言おうと思って一年間我慢してきた。
長女はラッキーなことに合格した。
長男が国試を受ける前に、長男の出身の歯科大に父兄が呼ばれて、国試に対しての心構えをレクチャーされた。その時、責任者の先生が叫んでいた。
「お父さん、お母さんたち、今日帰る途中で大きな本屋さんに寄って、昨年度の国試の問題を見てください。あまりの難しさに、きっと驚かれると思います。お父さん、お母さんが受験された頃とは比較にならない程、難化していますから」
先生の言われた通り、八重洲ブックセンターに寄り、最新の国試の問題集を見てみると、これが実に難しくなっていたか解った。
しばし熱中して解いてみたが、歯医者の世界にどっぷりと30年余り浸かっている自分でも聞いたこともない語句がぞろぞろと出てきて、そら恐ろしさを感じた。
歯医者にとって、これらの語句を覚える事が本当に必要なのか、かなり疑問に思った。

私は北大の学部6期生にあたる。(6回目の卒業生)
北大は1期から5期まで、1人も国家試験に落ちていなかった。
しかし6期生はチームワークがあまり良くなく、第一号の不合格者が出るのではないかとかねがね言われていた。
当時は、実習問題と論述問題に分かれていて、論述は落ちることはあるまいが、実習では緊張しすぎて、手が動かなくなって落ちるのではないかという予測をしている者が多かった。
国家試験が終わりチェックしてみると、問題も簡単なので、皆80%~90%はとれて全員合格という実感をクラスの大部分は思っていたと思う。
ところが昭和大学歯科病院に就職して、東京に帰ってみると、ある日、同級生の友人から電話があり、
「おい、市島、今年は1人落ちているという噂があるぞ。しかも、出席番号の前の方だと言っている。」
(私は出席番号1番だった)
その言葉を聞いて、それまでの合格を確信している気持ちが一気にしぼんでしまった。
出席番号の上の方は、私以外は非常に真面目な人間が多く、1人1人の顔を浮かべると、私以外には落ちる人間はいないような気がしてくる。
思いあまって、親友のMに電話をしてみると、
「出席番号の上の方だと、オマエしかいないんでないの」とか何とか言いだして笑っている。それでも悪いと思ったか、
「きっと大丈夫だよ。市島は運がいいから」と気休めを言う。
そうこうしているうちに、結果が発表され、出席番号の上の方ではなく、なんと出席番号が1番下の国家試験対策委員長のAが落ちていた。
対策をしすぎて、勉強をする時間がなかったためらしい。
気の毒な思いがした。
北大は我々のころ、定員が40名だった。卒業時は10名ほどが留年して、総勢30名という少なさだった。
ところが文部省はその後、驚くべきことに、60名に定員を増やし、その後80名にまで増やしていった。
やがてくる歯科医師過剰時代を予測できたにもかかわらず、こういう愚策を繰り返した。
そして本格的に、歯科医師が過剰になると、定員を今度は減らし、実習器具なども廃棄処分とした。
今までの愚策から出てくる歯科医師過剰問題を、受験生と落とすということで、解決しようとしてきた。そしてついに、国家試験の、それまで90%近かった合格率を一挙に70%にまで下げるという暴挙に出た。(今年は何と63%)
2年程前、新卒でうちで働いている若き女医さんが、
「先生、先生のころは、入試の方が国試より難しかったんですよね」とか言われて、絶句した。
その先生も2回国試に失敗して、弟も1回失敗していた。
性格的にも技術的にも、もちろん合格点を与えられるし、歯医者となるに十分すぎるくらいの技術力と人間性を備えていた。
我が医院も、少なからず国試失敗組がいるが、皆、才能あふれる若者たちが多い。
あのひねくれた問題を解く能力が、果たして歯医者にとって必要なのか。そして夢と希望をもって、歯科大を卒業しているやる気のある若者の出番をなぜに、こうまで遮る必要があるのだろうか。

歯科大の在学中から、当院に助手としてアルバイトに来ていた歯学部生がいた。仮にA君としよう。
A君はユーモアの解る明るい性格の持ち主だった。
昨年の11月にB先生が開業することとなり、お別れ会を手広医院を中心として催した。A君も当然出席した。
A君は今年卒業し、国試を受けるようになっていた。
ところが、国試が近くなっているからか、A君には全くといっていい程、笑顔がなかった。
その時、撮った写真を改めて見てみると、彼だけが唯一非常に暗い顔をしている。
それだけ国家試験というものが、これほどまでに暗い影を落としているのだと実感した。(A君は幸いにも今年合格した)
司法試験や会計士試験は落ちても潰しがきく。
しかし、歯科医師と医師国家試験は落ちると、
“歯の事を少し知っているただの人”や“人の体の事を詳しく知っているただの人”にしかすぎなくなってしまう。
医師国家試験は医師不足を反映して、わざと易化している様な気がする。(今年は合格率90.6%)
この状態を打開するにはどうしたら良いか、それは歯科医師免許証を年寄株と同じように考えたらどうであろうかと思う。
以前、歯科医師は70才で定年にするプランがあったが、年配の先生方の反対に、あえなく潰れた。
今は、国試予備校が大繁盛で、200万から場合によっては500万位の年間費用がかかる様だ。
そこで、60から62才までで、引退する場合に歯科医師免許と引きかえに、500万を国試で惜しくも不合格になった受験生1人から徴収して、1人引退させる。
受験生に金がない場合は、出世払いで国が、低利、長期返済のローンを設定する。
このように62から64は400万、64から66は300万と70まで段階的に小刻みにしていって、1人退場させ1人入場させる。
こうすれば、歯科医師が過剰にならずにすむし、引退しようとしている老ドクターの踏ん切りもつくと思われる。
先日も、今年、国試を受けた受験生と面談をした。
善良な人柄がにじみ出てくるような人物で、2、3年我が法人で鍛えれば、きっと大勢の患者さんから、愛され、尊敬されるドクターになると推察された。
今年受けた国試の感想を聞くと、どうやらボーダーらしく、今ひとつ表情が明るくなっていなかった。(残念ながら彼は不合格となった)
日本で最高に入試の難易度が高いのは、東大理Ⅲ(医進)で、次いで京大医、阪大医と、いわゆる旧帝大系の医学部が続く。
これらの入試を突破するのは、かなりのハードな受験勉強と頭脳がないと不可能だと考えられる。
35年歯医者をやってみて、医者、歯医者にそんな頭脳がいるのか、はなはだ疑問に思う。
意外に絶対条件となるのが、体力である。
これから迎える老人社会のために、体力頑強で、ヒューマニズムにあふれる若者を選抜すべきで、現行のような試験体制では頭でっかちになりすぎて、医療体制がはかなく、あやうくなるような気がしてならない。
このような状態を続けていると、今に、自殺者や精神疾患に陥る者が出かねない。
団塊の世代が学生の頃、このような事をやったら、すぐにでも紛争に発展したであろう。
しかし今の学生は、おとなしく甘んじてこの状態を受け入れようとしている。このような現状を「おかしすぎる」と 思うのは、私だけなのであろうか。
大いに問題提起をしていきたい。