円谷がんばれ

コロナが収束しないでオリンピックどころではないというのが、我々周辺の大多数の意見だったが、ブルーインパルスが58年ぶりに五輪の輪を描き、私が敬愛するミスタージャイアンツ長嶋さんまで登場すると、一気にオリンピックモードとなってしまった。

58年前に東京五輪でいまだに鮮明なインパクトがあったのは、マラソンの円谷幸吉選手であった。
前回東京五輪が行われた昭和39年、私は小学校6年生で母親と一緒にマラソンの実況中継を見ていた。
当時は君原と寺沢がマラソンのメダルの期待を集め、円谷は第3の男であった。
しかし、ゴールの国立競技場にはおそらく意識が朦朧としている円谷が2位で戻ってきて、イギリスのヒートリーがその後を追いかけてきて、結局ヒートリーに抜かれて銅メダルとなってしまった。
その時の「円谷がんばれ」を連呼するNHKの北出アナウンサーと母親の悲痛な叫びは未だに明確に覚えている。
円谷は次のメキシコ五輪の時も打倒アベベで金メダルを期待され、体調その他が悪いのを隠して頑張ってきたが、ついにそれらのものに押しつぶされて自殺をしてしまった。東北人らしい実直で真面目な性格がそうさせたのかもしれない。
その時の遺書の「幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」という言葉に思わず涙を流してしまったのを覚えている。
今回の60kg級の高藤の金メダルも「柔道だけは勝って当たり前」の風潮がある中での快挙で、前回リオデジャネイロ五輪で銅メダルだったがゆえに、円谷選手の二の舞的な感覚でいたので、本当に良かったとほっとしている。
しかし今回も何名かいるが、金メダルに過剰な期待をかけすぎて選手を潰してしまっているのは、いかにも問題が多いのではないかと思っている。