人間失格

先日、ふと太宰治の「人間失格」を読みたくなり、実に高校生以来50年ぶりに読み直した。
太宰治は40代の半ばぐらいで自殺したと思っていたが、何と39才で他界し、40代は全く縁がなかったと知り、やはり天才と狂気は紙一重だと実感する。
人間失格は3部構成になっていて、1部の冒頭で有名な「恥の多い生涯を送って来ました」という一節がある。
39才にして実に達観していた感がある。

現在の39才はというと、手広のSさん、大和のI先生、K先生、湘南台のH先生など我が法人にそれぐらいの年頃の先生が多いが、当時の太宰治の写真と比較するとまるで「おじさんと子供」である。
手広にたまたま用事があったので電話すると、折よくSさんが出て「太宰治って知ってるか」と聞くと「芥川賞とった又吉さんが尊敬する作家ですよね」と、彼女としては百点満点に近い解答をしてきた。
「太宰治が人間失格という小説で「恥の多い生涯を送って来ました」という一節を書いたのを知っているか」
「・・・・・・。」
「それを書いたのは39才でその年に自殺している。Sさんとだいたい同じ年だよなぁ」
「私まだ37才ですう~・・・」
まあ似たようなものだ。
「恥の多い生涯」だと思っているかと問いただすと
「それはいろいろと・・・。この年になるとありますよ」
「例えば?」
「例えば」
一瞬息をのんで笑いながら
「以前材料屋のソロモン・デンタルから電話があった時、理事長にホルモン・デンタルから電話ですと言って笑われたり」
「紹興酒の事を大声でこれはショウロンポーだって言って皆をあぜんとさせたりだよな」と何でいつも食べ物ネタに話がなっていくのか。
「いろいろ今から思うと顔から火が出るようなことをやってきました」
と妙に殊勝である。
話が今度郷里に帰る栗山先生の送別会を藤沢の「北海道」でやるが何を頼んだらいいかとの話にどういう訳か移り、得意の食べ物の話で、先の人間失格の話とはうって変わって雄弁になる。
結局自分の好物のカラアゲ、女子の好きなサラダ、そして結構おいしいといわれる餃子がいいと語る。
まるで「北海道」らしさがないので、カニとウニを忘れるなと連呼して電話を切った。

送別会当日、まずまっ先にカラアゲがやってきて、サラダとなって、中盤になって若干痩せているカニがやってきてSさんは大変御満悦となった。
ところが私の好物でSさんの大嫌いなウニがこないぞ・・・と連呼するがぴくりとも来ないでとうとう終了してしまった。
帰宅途中、とうとうウニが食べられなかった事を思い出し、若干腹が立ち、翌日電話すると、ウニは頼んだけれど別のテーブルに行って回ってこなかったとのことで「スミマセン」という。
「恥の多い生涯を送ってきました」と言えと言ってみようと思ったが、豪快な笑いとともに消し去られてしまった。
苦悩と葛藤の中に人生をおき、自殺していった太宰治と大好きなカラアゲをほおばって満足感と笑いの中でもうじき40代を迎えるSさん。
どちらが人間失格でどちらが人間合格か、人生を哲学するうえで考えさせられるひとときでした。

P.S.
最近手広のSさん話が多いとの指摘を受けますが、彼女に言わせるとたまにうちのOBと会った時、Sさん話を非常に楽しみにしているという人が多いとの事であえて暑中見舞いがわりに書きました。
OBの皆様元気で頑張って下さい。
Sさんも私も元気です。