また逢う日まで

尾崎紀世彦がこの世を去った。
彼のNo1ヒットソング「また逢う日まで」は、日本中で知らない人がいない程の曲で、一世を風靡した。
 大学に入ったばかりのころだと思う。
高校の同級生5、6人で、逗子海岸に一泊二日で海水浴に出かけた。
海岸で泳いでいると「また逢う日まで」の曲が流れていた。
誰からともなく、皆で歌い、それが合唱のようになった時、
高校で1、2を争う秀才だった東大生のIが「なによ、この曲」
と言って怪訝そうな顔をした。
慶大生のTが「おいI、おまえまさかこの曲を知らないんじゃないだろうな」と、すっとんきょうな声を出し、驚きの顔をして、私に同意を求めるしぐさをしてきた。Tは続けた。
「東大はこれだからやだよ。
今どき、この曲も知らないなんて、あり得ないよ。
勉強ばっかりしていて、常識ってものがないんだ。
こんなやつらが、高級官僚になって、日本を牛耳るようになるかと思うと、ぞっとするわ」
日ごろからIとそりのあわないTはこの時とばかりに力説した。
Iは頭がいいだけでなく、性格も温厚で篤実で皆から尊敬されていたが、何しろアンチTV人間なので、いわゆる芸能ネタはひどく苦手だった。
彼と一緒にTV でクイズ番組を見ていた時、ミーハーでTV人間の私の、広く浅い知識量の多さに、彼が一生で最初で最後であろう、尊敬のまなざしを向けたのを覚えている。
Iはその時、自分の一番の弱点をつかれ、東大うんぬんかんぬんについては不満があったろうが、黙りこくってしまい、Tのその発言があってから、何となく気まずい感じの残った旅行となってしまった。
 大学の寮の同窓会でも“使えない東大生”の話はよく出てくる。
つまり、プライドばかり高く、社会的応用のきかない東大生が、会社にとって困りものになっているという話だ。
「結局、使い勝手のよいのは我々明大生です」と知り合いの銀行支店長が自慢気に語っていたのを思い出した。
天皇の執刀医に日大出身の、天野教授がなったのでも解るように、医者歯医者の世界では、とっくに実力本位の世の中になりつつある。
東大だからと言って、甘い汁をすえる時代は、民間ではとっくに過ぎ去ってしまっている。
当院でも、北大出身は私を含め6人程いるが、学ばつとか国立とか言っているゆとりは一切ない。
どこ大を出ていようが、実力本位の世界である。
私の記憶する限り、野田総理の増税推進の財務事務次官の勝栄二郎氏が始めての私学出身の主計局長と言われているぐらいと、官僚の中の官僚の財務省では東大法学部卒が跋扈している。
民間では、実力本位にしたら、東大卒が幅が利かなくなっているのに、なぜに役人の世間だと急に「東大法学部卒でなければ人にあらず」となってしまうのか不可思議な世界である。
ちなみにTとIと私は、久しぶりに最近逢うことになり、定年になって働くというTと、働かないで社会福祉をするというIとの間で、再び尾崎紀世彦以来の論争がはじまり、ふと私は昔の光景がよみがえり、「また逢う日まで」のメロディを思い返していた。