三島由紀夫が割腹自殺して50年が経った。
当時私は高校3年生で大学受験を目前に控えていた。
井の頭線の駒場東大前駅から渋谷駅に向けて帰宅の途についていた。
渋谷駅で、耳をつんざくような声をあげて号外を配っていて、慌ててそれをもらうと、なんと三島由紀夫が自決して首がごろんと転がっている写真が写っていた。
衝撃的だった。
受験を控えた私は追い上げをはかっているところであったが、三島由紀夫は「潮騒」や「仮面の告白」を通してファンであったため、のめり込む様に、三島の書いたありとあらゆる物を読み始めてしまった。受験前だというのに「三島文学」に埋没し、当然のごとく受験に失敗した。三島がなぜ自決したのか。今でも謎めいているが、アンチだった松本清張は「文学的な行き詰まりのごまかし」という。
瀬戸内寂聴は「ノーベル文学賞を川端康成が先んじてとられたこと」を挙げているが、私は三島が渡米した際、ニューヨークのセントラルパークで無気力に呆けたように座っている多数の老人を見て「老い」に対しての嫌悪感が「美」に鋭敏だった三島にはたまらず、決行したのではと言われている説が、自分もセントラルパークに行ってみてアメリカの老人を見た時に痛感したので、案外それが本筋ではないかと思っている。
大学に落ちて、私は「三島文学」を封印した。自分の意志の弱さを痛感し、自分がいったんギャンブルや麻薬に染まったら、それに溺れていく人間のタイプだと思った。
以来大学に入って、安寧で暇な時期も「三島文学」には触れていない。
当時一番傾倒した三島の遺作「春の雪」から「天人五衰」の4部作を50年ぶりに読んでどう感じるか、コロナの巣ごもりの中で考えてみたいと思っている。