プロ野球考(Ⅰ)~長嶋さん、そして王さん

私は熱狂的な“巨人ファン”というよりも長嶋ファンである。
私が育った頃サッカーはあまり盛んではなく、何がなんでも野球の時代だった。
特に長嶋さんの人気は絶大なものであった。
何しろ草野球をやっても背番号3を誰がとるか、サードを誰が守るかでケンカになる程であった。
長嶋さんは本当にカッコ良かった。
三球三振ですら彼の場合だとダイナミックに帽子を跳ね飛ばし、
たとえその後しりもちをついても絵になってしまうような伝説の人であった。
王さんも人気があったが、私の周辺では圧倒的に長嶋ファンの方が多かったと思う。
小学生の頃、日曜になると私はのちにテスト生として近鉄球団に入団したKと
多摩川の巨人グランドに出掛けて行った。
Kはサウスポーで王貞治のファンであった。
多摩川の巨人グランドの(今はもうないが)ネットにへばりついていると、Kは「サイン!サインお願いします!」
と大声で王さんの方に叫んだ。
王さんはニコニコ笑いながら寄ってきてKの手帳に几帳面に「巨人軍・王貞治」
と記した。そして私の方へ向って“君はいらないのか?”というような顔を向けてくれたが、
私は長嶋さんに仁義を尽くしてサインはもらわなかった。
しかし王さんという人は人格者で、ファンを本当に大切にする人という好印象を持った。
長嶋さんのサインのチャンスは計らずともきた。
後楽園球場で例のKと試合後ソバを食べていると、「長嶋だぁ!!」という掛け声が聞こえた。
慌ててソバ屋から出ると長嶋さんが2~3人のファンに取り囲まれていてサインをせがまれていた。
私も無我夢中で駆け寄った。
長嶋さんはその日4打数1安打で機嫌が悪く、苛立っている様子だった。
とにかく甲高い声だった。長嶋さんは意味不明な言葉を発し、私は待望のサインを獲得した。
帽子にサインをしてもらい、長らく我が家の“家宝”にしていて、私→長男→次男という風に渡り、
何回目かの引越しの時に次男が紛失してしまい、私と長男が責め立てたのを覚えている。
この時、長嶋さんはTV局の取材か何かが来ていて「先生!先生!」と呼ばれているのを
子供ながらに奇異な気持ちで見ていた。
大学を卒業して昭和大に勤務していた時、しばらく自由が丘に住んでいた。
私は太りやすい体質ゆえ、田園調布に“田園サウナ”という所がありひんぱんに通っていた。
偶然 長嶋さんもそこに通っていて、マッサージをやる人が私と同じ担当だった。
「あの人は変わっているね~」「サウナに入ったら全く出てこないんだよ。アンタの“カラスの行水”と全く逆だよ。よく体がカラカラにならないものだ」
後年、長嶋さんが脳梗塞で倒れた時、あのマッサージ師のことば脳裏が浮かんだ。
病気で倒れてからの長嶋さんを見るのは我々ファンも辛かった。
しかし現在は、今の長嶋さんも長嶋さんらしい長嶋さんだと思い、新たに応援をしている。
癌に倒れた王さん、脳梗塞におかされた長嶋さん。
私はお2人にエールを送りたい。
そしていつまでも元気でいて欲しいと願う球春の今日この頃である。
b0601.jpg