まもなくボーナスの査定の季節がやってくる。
とにかく人が人を判定するなどという事は、非常に難しい事だと思っているので、当院ではお互い従業員によっておおまかな相互採点をする事で査定をしている。
いわゆるエコヒイキと思われるのを防ぐためだ。
もう何年前になるか忘れてしまうほどの昔、とある衛生士がやってきて、「理事長、昨日Wさんと1対1で食事に行きましたよね」との事。
「気を付けた方がいいですよ。もう話題になって今日3人から聞かれました」
「そらきた」
女子従業員は「エコヒイキ」や「特別扱い」に敏感である。
特にカワイイ系はともかくとして、美女系美人系に対する対応は、極端と言ってもいい位敏感で、今までも何回もひどい目にあわされてきた。
疑われるのが私なら構わないが、何の因果関係もない相手を作り上げられてしまうと対象となる女の子が気の毒な事となる。
これを契機に、どんな場合でも従業員と1対1の医院外の面談は
やめるようになった原因となる出来事だった。
いつもの事ながら参ったと思っていると、入社して6年目になるIちゃんが、ちょこちょこと走ってくる様子が目にとまった。
「Iちゃん参ったよ。Wさんから退職の相談があると言われ、デリケートな問題があると言うので(退職の原因が他の職員である事)、近所のファミレスで話を聞いていたら誤解されたよ」
Iちゃんは、じっと私の顔を見据え、話を聞いていた。
じれてしまった私はとんでもない事を言った。
「Iちゃん、IちゃんとはWさんの何倍も話をしたり、冗談を言い合ったりして、1対1でご飯も食べた事もあったけれど、一向に問題にならず、たいした話もしていないWさんの事となると、なんで大騒ぎになるんだろう」
「それは……」Iちゃんは一瞬口ごもったが、
「けけけぇ…それは私が美人で、Wさんがブスだからだと思います」
一瞬「うん」と思ったが、すぐに究極のアイロニーだという事を理解した。
まるで怪鳥(失礼)がわななくように笑いながら、その場を去って行った。
もっとも最初から、このような阿吽の呼吸の会話がとれるわけではなかった。
Iちゃんは、短大を卒業して当院に就職した。保育士の資格を持っており、最初は助手を経験させ、その後受付をさせていくというもくろみだったと思われる。
(その頃から面接は事務がやるようになっていた)
入ってからしばらくたって、数名のドクターから、
「理事長、Iちゃんバキューム持っている時、手が震えます」
というような申し出があった。
確かに自分の治療の時にバキュームを持ってもらっても、やはりどうひいき目にみても「震え」がとれないでいた。
そんなこんなしているうち、ある日若いながらチーフだった衛生士のTさんが、Iちゃんを伴って院長室にやってきた。
「理事長先生、お話があります」
従業員のお話があります、は8割が退職の話だ。
私は観念した。
Tさんは続ける。
「実はIちゃんは、小さい頃交通事故にあって、それから少し緊張すると手が震えるようになってしまったそうです。言おう言おうとしていたそうですが、らいおん歯科が好きで、言ったらやめさせられると思って躊躇していたようです。理事長、どうかIちゃんを
今まで通り働かせてやって下さい。お願いします。」
Iちゃんは、じっと泣きそうな顔をして目を伏せていた。
「何だ、そんな事か。歯科の仕事には色々な仕事がある。石膏を、技工士さんの為に気泡が入らないようにするのも立派な仕事だ」
「頑張ります。お願いします」
Iちゃんの顔がぱっと明るくなった。
Iちゃんはふっきれた様に裏方に徹した。
かげひなたなく普通なら嫌がるような石膏つぎ、ゴミの片付けや診療セットの後始末を真剣に働き続けた。
そんな時、私はIちゃんにこんな話もした。
「Iちゃん、田中角栄って知っているか」
「知っています。マキ子さんのお父さんですよね」
田中角栄が料亭に行った時、下足番を、苦学生(今となっては死語だが)がやっていて、その学生を励ます時に言った。
「下足番をやるなら日本一の下足番になるように努力をせよ。そうしたら世の中の人はあなたを下足番には放っておかない」
Iちゃんはきょとんとしていたが、半分ぐらいは理解できたように思う。
7年経った。Iちゃんは立派な助手となり、四之宮医院で確固とした地位を確立した。
年末恒例の忘年会のくじ引きも、Iちゃんはよく当たった。
それは努力家の彼女に対する神様のご褒美のように思った。
やがて彼女は結婚し、子供を授かった。
忘年会は連続してOGとして来てくれ、相模原に引っ越した彼女は、16号医院の内覧会にも家族で来てくれた。
彼女が好きだった忘年会のシーズンが近づいてくる。
カラオケでよく彼女を思いながら歌っていたSMAPの曲を歌いたくなる。
No.1にならなくても良い。もともと特別なオンリーワン。