S子の思い出

人は誰でも大切にしたい思い出を持っているものだ。

大学を卒業して、昭和大学保存科に就職した。

大学病院とはいえ、そう毎日毎日は診させてもらえず、火木土の午後はアルバイトに出かけていた。

アルバイト先は、東京の下町の医院で、患者さんは大変多く、住んでいた武蔵小杉から東横線と日比谷線を乗り継いで、せっせと出かけて行った。

アルバイトといっても、週に3日も行っているとなると、理事長から気に入られ、どんどんと患者さんを送り込んでくるので、大学病院の給料の3倍ほどは稼いでいた。

仕事も一通り覚え、2日に1回はスタッフたちと近所の居酒屋や、果ては六本木まで出張してフィーバーして、毎日終電で御帰還という、若さゆえに成しうる毎日を送っていた。

そんなスタッフの中で、S子は非常に目立つ存在であった。

年齢は17才で茶髪にして、未成年のくせにタバコは吸う、酒は飲むで、いわゆる“ヤンキー”というタイプだった。

最初のうちは解らなかったが、そのみなり、風貌に似ず、性格は非常にまっすぐで好感のもてる女の子であった。

ある時、S子が近所に住んでいる入れ歯に困っているおばさんの治療を頼むと言って紹介してきた。

患者さんは60才ぐらいで、いかにも下町のガラガラおばさんという感じの人であった。

話を聞いてみると、下顎の遊離端義歯(下あごの奥歯のない部分を補てんする入れ歯)で、食べる時に動いてどうしようもなく、今まで何軒もの歯医者に行ったとの事であった。

私としては当時、はやり始めていた京セラのインプラントをすすめたが、経済的な理由で無理との事で、保険の義歯をとりあえず作る事となった。

入れ歯が出来てみると、思った通りに入れ歯が動くと訴えてきて、4、5回調整してギブアップという事と相成った。

5、6回目の時、そのおばさんは予算5万円で全部作り変えて欲しいと訴えてきたが、私としては、到底それでは無理という事でお断りして、こう着状態となってしまった。

最期の頃は、言い合いになり、お互い非常にきまずい状態となっていた。

そんな折、ドクター部屋で帰り支度をしていると、ドアがノックされ、そこにはS子が目に涙を浮かべて、まっすぐこちらの方を見据えていた。

「先生、ひどいよ。理事長は先生の事エリートだって言ってたけど、こんなのも直せないならエリートとは言えないね」

「先生にとっては5万円はたいした事ないお金かもしれないけど、あの人にとっては一生懸命に内職して貯めたお金なんだ。

先生に馬鹿にされたと言って、昨日落ち込んでいたと家族の人から聞いたよ」 S子を見てみると、ますます泣きじゃくり、涙がポタポタと床に落ちていた。

帰りの日比谷線の中でS子の訴えに心を打たれ、大学を卒業して、皆にちやほやされ、仕事も一人前になったつもりで、ろくすっぽ患者さんを満足させる事も出来ず、逃げ出そうとしている自分を深く深く反省した。

中卒でヤンキーなS子に人生のいろはを教えられたような気がした。

翌日、理事長にTELして、5万円の予算で足りない分は自分の給料から差っ引いてほしいと連絡して、理事長も快諾してくれた。

次の時、おばさんに誤解があった事の非礼を詫び、入れ歯を作り直し、今度はうまくいき、おばさんは「何年かぶりに、いろいろなものが食べられたよ。先生ありがとう」と言ってくれた。

S子も機嫌を直し、「先生やっぱりすごいよ。やっぱり理事長の言う通りのエリートだね」と顔をくしゃくしゃにして喜んでくれた。

そのアルバイト先は大変気に入って3、4年勤めたが、大学も忙しくなり、辞めてしまった。

S子はその後突然何かのきっかけでTELをくれたが、いつか逢おうと言って、音信が途絶えてしまった。

現在でも、怠慢な私はしばしばこのような局面に立たされる。

泰晴会のスタッフはまじめな人が多く、正義感が強く、S子のようなタイプの従業員が多く、それによって組織が支えられていると言っても過言ではない。

新人を面接している時、S子の事を思い浮かべる。

まっすぐ透き通った眼で、医療の現実を見据えているかどうか、医療の本質を、傲慢になり、謙虚さをなくしたドクターに教えられるスタッフになり得るかどうか。

私は判断基準にしている事が多い。

今から35年程前の出来事であり、現在S子は52才となっている。

逢いたいと思う気持ちもあるが、もしあの純粋で無垢なS子がイメージ通りの姿で現れなければ、それに対して落胆する自分が怖く、このまま良い思い出としてとっておきたい気持ちである。