一枚の布

まだ学生だったある日、

人通りの少なくなった青山を歩きながら、ふと目を向けたショーウィンドウ。

体に稲妻が走ったような衝撃を受けたのを今でも覚えている。

お店も閉まっていたので、店の名前を記憶して、翌日すぐに店に電話をかけた。

 

それが私と“ISSEY MIYAKE”との出会いだった。

 

後日お店を訪ねてみると、気さくに店員が話しかけてくれて、1つ1つの服のモチーフや素材など説明してくれた。

店員が客に話かける光景は、他のお店に訪れてもよく見られる。

面倒くさいなと思うことがほとんどだが、今回は違った。

押し売りをするための会話ではなく、どの話も非常に興味深く驚くような話ばかりだったのだ。

聞けば聞くほど、興味が沸きこちらからも色々と質問してしまうほどだった。

人気NO.1だとか、最後の一点だとか、モデルの▲▲が着てますなどという話は一切なく、こだわった制作過程や、その柄の意味など、その服の裏側にあるストーリーを話してくれた。

“ISSEY MIYAKE”とは、一体どんな人物なのだろう。彼の事をもっと知りたいと感じるようになった。

 

1938年広島に生まれ、7歳で被爆を経験したが“被爆を経験したデザイナー”というレッテルを張られたくないと、長年被爆経験があることを語らずにいた。

しかし、2009年にオバマ大統領がプラハで核廃滅を示した演説に感銘を受け、自らの経験を語り、オバマ大統領へ広島平和式典への参加を願う手紙を書いた。そして、7年が過ぎた昨年、現職大統領としては初めて、オバマ氏は広島を訪問した。

歴史的瞬間であった。

 

被爆を経験した彼は「破壊されてしまうものではなく、創造的で、美しさや喜びをもたらすもの」を考え続けた末、衣服デザインを志向するようになったといわれている。

 

多摩美術大学を卒業したのちにパリに渡り、1973年にはパリコレクションにも参加。

実用的な衣服のデザインを進めた。

1993年には、今では定番のブランド“PLEASE PLEATS”を発表。

軽さ、着やすさ、壁のおりなす美しさ、扱いの簡便さをも兼ね備えた、現代生活に機能する“プロダクトとしての衣服”を実現した。

 

“ISSEY MIYAKE”と言うと、年配の方が着るブランドイメージがあった。

しかし、一度着てみると、どんな女性にも適応できる衣服であるということを実感できた。

何より、軽くて着やすい点に驚いた。

是非体験していただきたい。

自宅の洗濯機で洗うことができ、すぐに乾く点も実用的で嬉しい。

アイロンがけも必要ない。

 

ISSEY MIYAKEブランドには当初より“一枚の布”というコンセプトがある。

西洋の立体的裁縫で衣服をつくるのではなく、平面状の布を折ったり、切ったり、畳んだりしながら衣服の構造を生み出す独自の方法である。日本の着物からヒントを得ている。

 

2010年発表した“132 5. ISSEY MIYAKE“

 

「132 5.」と名付けたのは、「1」枚の布から生まれた「3」次元の立体造形は「2」次元平面に折りたたむことができ、余白の後の「5」は、衣服となって人が着用する事で時間的な広がりが生まれた状態を示し、服に込めた考え方が次段階に進んでいくことへの想いを重ねている。

 

環境問題も考え、再生繊維の開発、糸1本の段階から研究を重ねオリジナルの素材を作っている。

筑波大学准教授と共に、CGアプリケーションを使用して立体構造を設計しそれを、1枚の平面に畳む方法を研究した。

どこまでも考え込んでデザインされている。

想いをきちんと伝えたいので、沢山作って沢山売る気はないと語っている。

だからと言ってとんでもなく高い値段設定にもしておらず、デザイナーズブランドとしては、安い設定である。

金額的な利益が目的ではないと彼は言う。

 

近年ファストファッションの進出が急速に進んでいる。

デザインも豊富、価格も安く手に取りやすい。

しかし、それらにどれだけの想いや、物語が詰まっているのだろうか。

店員がその服にまつわるストーリや込められた想いを客と話すことができるだろうか。

ファストファッションを否定するつもりはない。

しかし、想いの詰まった衣服を身にまとい、そこから感じるものを楽しむことができたら、日々の生活がより豊かになるのではないだろうか。

 

“ISSEY MIYAKE”に出会い、興味を持ち、知れば知るほど、このブランドに魅了される。

想いの詰まった“一枚の布”に身を包み、「5」の世界を楽しもうと思う。

 

AppleのCEOであった、かの有名なスティーブ・ジョブズのトレードマークである

黒のタートルニットもISSEY MIYAKEのものであることも追記しておく。
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