渡哲也 死す

お盆になると、死んでしまった肉親のことを考える。 父の生前、いっしょにテレビを見ていると、デビューしたばかりの サザンオールスターズの桑田が奇声を上げてトラの皮のパンツを穿いて踊り歌っていた。 父はびっくりした顔をして、 「なんだこいつらは。」 と言った。 私は悪戯心をおこし、 「お父さん、これでもお父さんの母校出身者だよ。」 と言った。 父は青山学院大学の出身で、母校を誇りに思っており、父の自慢の母校出身者はペギー葉山であり、渡哲也だった。 高倉健を心酔していた父の延長線上には渡哲也がいて、彼は父の自慢の後輩で、 「渡哲也は青学らしい校風が感じられる。」 とよく言っていた。 サザンオールスターズがその後あれほどに大きく成長しようとはつゆ知らず、私は、ショックを受けて部屋から去っていったそのときの父の驚愕した顔を今でも忘れられず、思い出して笑ってしまう。 渡哲也が亡くなった。癌に犯され、それでもくじけずに俳優生活を続けたことは、幾多の癌患者に勇気と希望を与えたと思う。 誠実ででしゃばらずにまっすぐに自分の人生を貫いた人だった。 葬儀・お別れ会などいっさいやらないようだが、いかにも渡哲也らしいやり方だと思った。 それにしてもまた一人昭和の偉人が去っていく。 大変さみしい思いをしている。 ご冥福をお祈り致します。