西郷どん(せごどん)

NHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」が始まった。
当ブログ「餃子が食べたい」の箱根事務局のKさんは鹿児島出身で、やはり鹿児島では西郷隆盛は「せごどん」と親しみを込めて言われているらしい。
私の曾祖母、父の祖母のキンは慶応3年生まれで(何と江戸時代だ)、ロサンゼルスで事業をやっていた祖母ハナに変わって、父を育てていて(だから父の性格がいびつになったと思っている)会津生まれで白虎隊に従兄弟がいるとかで、大変気が強く自分の事を「オレ」と言っていて、初対面の時は男と思ったほどだ。
父がケンカで負けると「これで叩き切ってこい」と真剣を出し、父が悪ガキ相手にそれを振り回すと、蜘蛛の子を散らすようになったとの事であった。
このキンさんは大変な鹿児島嫌いで「サイゴウ」とか「さつまっぽ」などの言葉がよく出てきて、西郷さんの話をすると顔が険しくなったほどであった。
幕末の会津藩主松平容保は孝明天皇に尽くした甲斐もなく、薩摩軍の裏切りで(嘘か本当か分からないが)朝敵とされ、遠く下北半島に斗南藩(となんはん)として転封された。
西郷が反乱軍とされた西南戦争では、大久保利通は最初の戦況が不利と見るや何と会津軍の残党を投入して、会津軍は親兄弟の仇とばかり西郷軍に襲いかかり、ついに西郷軍を全滅させて西郷隆盛は自決した。
先祖が会津人のせいか、我が家では父をはじめとして、鹿児島とは大違いで大久保の評価が高かった。
一方鹿児島ではKさんに聞くと、大久保は西郷を殺したという事になり、いたって不人気であり銅像は「橋のたもとにひっそりと立っています」との事だ。
会津ではやはり白虎隊と関係のある山川兄弟が(陸軍大将や東大の総長に至った)、松平容保の朝敵の汚名をそそぐため、書などをまとめた建白書を提出し、朝敵という存在がだんだんと薄れていったようだ。
今年は明治から150年の年、仮にキンが生きていたら150歳という事になる。子供の頃から「さつまっぽ」とか聞かされたが、鹿児島県出身者にはKさんをはじめとして、その後の人生で接触する事が多く、当たり前だがキンの思っていた鹿児島人のイメージと実際が大分違っていた事が多く、私の考えも変化していった。
西郷さんは写真嫌いで、写真を撮られると魂が抜かれると言い、実際は親族2人を合成した絵が上野の西郷さん像で、現実に銅像の除幕式の時、三番目の妻イトさんの「あの人と違う」と言ってミステリアスな面も多い。
これから1年NHKと鈴木亮平がどのように西郷像を描きうるか楽しみにしている。