母からの手紙

日曜、平塚四之宮医院に10年程助手として勤めていたSさんの結婚式があり、江の島の真ん前にある洒落たレストランを貸切った式場へと出かける。

式に出かける途中、Sさんが高校卒業してすぐ位に就職した当時の事を思い出していた。

彼女は人なつっこくて、私がたまに四之宮医院に出かけた時、私を見つけるやいなや、まるで飼い犬のように(失礼)寄ってきて、私が中に入ろうとすると、とうせんぼをしたりしていた。

時にはうっとおしい時もあり、

「ドケ、ウシロガミエナイ」(当時はころころと彼女は太っていた)

とか何とか言うと、彼女は大げさに失望するしぐさをするのが常で、それがとてもおもしろかった。

その当時は、従業員にとって、私がそろそろ煙たくなってきた時期であり、彼女のように積極的に突進してくる存在は大変まれであった。

 

式は順調に進み、こじんまりはしていたが、実にアットホームな雰囲気に満ちていた。

やがて彼女がバージンロードを進む段取りになると、お兄さんとおぼしき男性が、父親の遺影と思われる写真を持ちながら行進している様が目に入った。

その後、父親が10年程前に癌で亡くなった事の説明を受け、はっとした。

そういえば、彼女の口からよく出る言葉は「おにいちゃん」とか「兄貴」とか「お母さん」であり、「父」とか「お父さん」という言葉は出てこなかった事に気が付いた。

現在では、父母の職業その他は特に高校新卒の場合、聞いてはいけない事になっているのをご存知だろうか。

プライバシー保護とか人権に関わってきて、ひとたびそういう事に触れたならば、高校の就職担当の先生からきつい叱責を与えられる。

「お父さん、何やっているの」は絶対的なタブーとなり、従って経営者といえども、父母兄弟は何をやっているのか、全く知らない事も多くなっている。

ゆえに、従業員が自ら口を開かなければ、父親及び母親その他が、もう故人になっているか存命なのかも解らない。

お父様は自営だったらしく、父親の死後、兄弟は団結してしばらく家業の方を頑張っていた様だった。

 

彼女には印象的な事が1つあった。

それは彼女の母上から一通の手紙を戴いた事だった。

その時まで、私の彼女に対するイメージは「ちょっといかれ風のおねえちゃん」だったが、その手紙を受け取ってから、根底から彼女に対する評価が変わった。

その手紙には、丁寧で、そして達筆な文字で、治療に対するお礼(母上は、四之宮医院で治療をしていたようだ)と、娘をよろしく頼むといった内容であった。

「ああ、この子は大丈夫だな」と私は直感的に思った。

何人もの女性従業員を雇ってみて解った事だが、母親の存在は大きい。

きちんとした母親からは、きちんとした娘が育ち、母親がだらしないと、娘の考え方も甘く、すぐ脱落していくような例が多い。

 

式は進み、やがて私がスピーチする順番になった。

彼女は若い頃、コロコロ太っていたが、その後は人が変わったように「美しく」なり、一度は、誰か新人がいるのかと間違える程に変身した。(最初で最後の褒め言葉)

純白のウエディングドレスを身にまとい、私が何をしゃべるのかと不安に満ちた眼差しを私に向けていた。

同時に彼女の母親と兄二人が、やはりいっせいに真剣な眼差しをこちらに向けてきて、身が引き締まる思いだった。

スピーチは無事に終わり、私は「母からの手紙」の話を皆に披露して、自説を唱えた。

こんなに立派なお母さんに育てられた娘はきっとすばらしい従業員となって皆をひっぱっていくと予感した旨の話をした。

式の途中、彼女の母親とは背中合わせで、その表情は見えなかったが、秦野の衛生士のHさんが、先生、お母さん、理事長のスピーチを聞いて泣いていますよ。とそっと教えてくれた。

10年前父親が亡くなったとも知らず、優しい言葉のひとつもかけなかった自分を恥じ、許して欲しいと思った。

久しぶりにファミリーの結束を味わえる心あたたまる結婚式に出席でき、「禍福は糾える縄の如し」のことわざのように、これからこのファミリーにはいい事がきっと続出するだろうと予感した。

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