桑名正博

大学に入ったばかりの夏休み、高校時代の同級生の集まりで、誰かが言った。
「オイ、KとSが、何やら大阪のヤツと組んで、バンドをやるそうだぞ。ボスは内田裕也だそうだ。」
皆から歓声が上がった。我学年からの初めての芸能人誕生だった。
バンド名はファニーカンパニーといい、リーダーは桑名正博だった。
その後桑名は、桑名財閥と言われる、旧家の出身のおぼっちゃまで、かなり才能があり、内田裕也に認められていて、KやSがすごく
“いい奴”だと言っていた話が入ってきた。
内田裕也の権勢と人徳は強く、その風貌から想像できないが、皆から一目置かれ、天皇とか大将とか思われている話などを聞いた。
そのころ関東では、ロックバンドでは、キャロルがのしあがっていた。KやSの親は医者とか会社社長で、学年の中でも裕福さで知られる家庭の子弟で、キャロルのハングリー集団に対して、まさしく“おぼっちゃま”集団だったと思われる。
そのころの桑名は、ガリガリに痩せていて、目はぎらぎらとして、とにかく“女にもてそうな”“不良性のある”“カリスマ性”を持つ男だった。
ファニーカンパニーは“おぼっちゃま集団”だけあって、早々に解散し、桑名はソロ活動を始めた。
その後アンルイスと結婚し、誕生した長男もうちの長男と同じ年ごろだったと思う。
その歌唱力は抜群で、芸能界からセミリタイアして、家業の社長業をやっていた様だが、年齢と共に円熟を増し、若いころのギラギラしたものがなくなり、大阪のオッサン風な“いい老け方”をしていった。
同じ年なので、何かにつけて桑名の“老い方”は気にかけていたが、時折、TVで見かけて相変わらず、歌は「うまい」の一言につきた。
今年の夏、桑名倒れるの報を聞いた時、自分がハンマーで後ろからうたれたような気がした。
桑名、頑張ってくれ、もう一度復活して、渋い喉を聞かせて欲しい。
この切望もつかの間、3日しかもたないと言われていたが、100日以上も頑張って、10月26日ついに帰らぬ人になった。
桑名にはカンレキという言葉は似合わない。
きっとそれが嫌だったんだろうなと思う。
人間の顔は、その行動や性格がそのまま反映されていると思っている。桑名の晩年は、実にいい顔をしていたと思う。
そして死後、こつこつと障害のある子供への支援事業や、海外の戦地の子供たちのチャリティーをしていた事が判明した。
永遠の“かっこいい不良”桑名正博よ、さらば。