大友堀(おおともぼり)

北海道地震から1ヶ月が経過した。
秋の観光シーズンを迎え、さぞかし定山渓などは大打撃を受けていると思い、気の毒に思っている。

大学時代住んでいた下宿の近くに創成川が流れており、地元の古老などは大友堀と呼んでいた。何かの折、大友堀とは神奈川県小田原市出身の大友亀太郎が江戸晩期、札幌市内に作った農業用水である事が解った。
大友亀太郎は、小田原市大友地区の出身で(我が医院にも同地区出身の綾瀬医院院長の大友先生がいる)二宮尊徳の弟子となり、幕末北海道に渡り開拓に携わり、最後に神奈川に帰って県会議員などを務めたようだ。
この度、読売と日経新聞の地方版に小田原市の千代中(亀太郎は千代小の設立に力を尽くしたといわれる)の生徒が寄付金を集めて、札幌市と厚真町の復旧に役立ててもらおうとして立ち上がったようだ。
10月7日放送のNHK「西郷どん」で江戸城明け渡しの時、篤姫が西郷隆盛に二宮尊徳の「報徳仕法」の本を渡して感動するシーンがあったが、尊徳の弟子である大友亀太郎が当時未開の地で奮闘努力した結果が今日めぐりめぐって生かされている。
小田原近郊で暮らしている私としては二宮尊徳翁の気持ちが現代に生かされていると思って嬉しかった。