世界のITO 世界のAOSHIMA

セミナーに出る。
主催者は原宿開業の審美歯科カリスマドクターだ。
「これを作ったのは、ポーセレン(せとの歯)では世界の青嶋と言われる青嶋仁技工士だ。工料は9万もするんだよ、9万円」
「ゲェー、うちのポーセレン価格より工料が高いのか。さすが天下の青嶋先生だ」

昭和大に就職して3年目。給料も上がり、それなりの地位になり調子に乗っていた頃の話で、その頃技工士はなぜか新人女子が多く
「市島先生、ここの形成ちょっと直していただけませんか」と現れたことがある。
「ナヌ……ダミダミダミーヨ。それぐらいの事で患者さん呼べないでしょ。よく考えてねぇ」と自らのミスも認めず却下すると、その新人技工士さんは困り果て泣きそうな顔をして一旦引き下がったが、やがて天下の青嶋先生を連れて現れた。
「市島先生、申し訳ありませんが、ここを直していただけませんでしょうか」と平身低頭して青嶋先生が依頼してくると、調子の良い私は、「ハイハイハイハイ、さっそく直します。どうもすみません」と卑屈にも卑怯にもすぐに引き下がった。
青嶋さんは技工室長をやられていて、技術はもちろんの事、その仕事への向かい方、周りへの気配りでも定評があった。
その製作物はまるで神様が作るかのような出来栄えだった。
天下の青嶋仁に頭を下げられたら、青二才で生意気だけが取り柄の私は木端微塵だった。

2年程前も、関西にコンポジットレジン(歯に詰める白い詰め物)のセミナーに行き、○○研究所の先生が齲蝕検知液の話をしている際、「この分野で世界一は昭和大の伊藤和雄先生です。まさしく世界の伊藤です。」と叫んでいて、こっくりと居眠りをしていた私は、椅子から転げ落ちそうになって目を見張った。
「今、伊藤和雄って言ったな。昭和大の伊藤和雄といえば、兄貴分で毒舌で鬼軍曹で、毎週毎週新宿3丁目のオカマバーに一緒に行った、あの伊藤先生かい」
確かに伊藤先生は研究の虫で、私にはざっくばらんな兄貴分みたいな人だったが、世界の伊藤となり得る人物となってもおかしくはない。
その他にもエンドメーターの鈴木賢作先生、アマルガムの和久本貞雄先生など、その頃の昭和大は世界に冠たるドクター達がいた。
今の私であれば、伊藤先生や青嶋先生にもっと接近して、いろいろな事を貪欲に吸収していったと思う。
ごく至近距離に世界的な研究者や臨床家がいて、それを吸収しなかった事は大きな損失だったと、この年になってやっと思うし、若い頃は灯台下暗しで身近にあるチャンスに気づかないものなのだ。

P.S. 伊藤先生とは年1回和久本教授を偲ぶ会でお会いしているが、会っていると昔のオカマバーのノリで、世界の伊藤の話はいつまでも出来ずじまいでいる。