オヤジのくつみがき

12月18日は父親の誕生日で、そのせっかちな性格の通りに、あっけなく心筋梗塞で急死した67歳までの生涯だったが、生きていたらなんと102歳になる。
父親は父親の伯父と港区虎ノ門で自動車部品の会社をやっていた。
父親の伯父が死に、従弟にあたる息子に実権が移ると、父親は煙たい存在となり(当たり前と思う)会社に居づらくなり家にいる時間が多くなっていた。
私が「オヤジ、そんなにごろごろしていていいのかよ」と聞くと、
「俺は貴族だ。お前みたいな平民とは違う。平民はあくせくと働くんだ」と憎まれ口をきいていた。
2、3年前に偶然出てきた父親の手帳を見ると、実はこの時期必死で求職活動をしていた様子が分かった。
一家の実権が自分から私に移行するにつれ、何とか少しは稼がねばという思いが彼にはあったと思う。
しかしながら65、66歳の何の技術もない老人に職を与える程、当時の日本社会は甘くなく、仕方なしに家でごろごろしていたようだ。
父親はその当時の日本の家庭は皆そうだったように、権限が強く、私の人生のほとんどは彼の意志で進路を決められていた。
祖父(歌舞伎俳優だった)が持ってきた歌舞伎界の名門への養子の話はあっという間に却下。最初、私大の文学部に行きたいという志望は怒りの鉄槌で却下。二浪してあくまで国立医学部を狙うとの私の意志は、
「二浪は許さん。大阪のでっち奉公かコックになれ」との事でこれまた却下。
私にとっては目の上のタンコブの雷オヤジであった。

ある時、私の靴がピカピカになっている時があった。
母親に誰が靴磨きをやったのか聞くと、「お父さんよ。暇を持て余したんじゃないの」と言っていた。
次は直接、靴磨きをしているところに遭遇した。
心なしか元気が感じられなく、背中が小さくなったように感じた。
ちょうどその頃は今の私の年と同じ位で、家でふらふらしている自分に苛立ちを覚え、少しでも家の為に何かをやろうと感じたのではないか。
靴磨きをしている父は、私にとって物悲しく寂しさを感じた。
父にはやっぱり「俺は貴族だ」と言いながら威厳を保っていて欲しかった。
「お父さん、そんな事やらなくていいよ。俺がやるよ」と言いたかった。
12月3日長男が結婚し、自分で式用の靴磨きをしている時、ふとその時の事を思った。
何か自分にできる事はないか。役に立ちたいと父は思っていたに違いない。
12月18日は墓参りに行き、父と話をしてこようと思っている。