まぼろしのおっさん

「理事長、○○○証券の支店長さんが、お会いしてお話ししたいとの事です」受付がそう伝えてきた。
名刺と資料を持って、もう三度も四度も日参しているのは知っていた。ねばって努力する人は私の好みである。頭や技術がなくても努力ぐらいできるでしょ…というのが私の信念である。
もう、株式投資はやめて何年か経っているが、たまには現状の経済情勢を聞くのも良かろうと、逢う事を決めた。
逢って名刺の交換をした後、いきなり私が「株式をやろうにも、先立つものが何もないんですけど」と言っても、海千山千のつわものらしく、全く動じる事なく、近年の経済情勢を語り続けていた。
「○○○証券は、どことどこの証券会社が合併してできたんですか」と聞くと、またそれかよ、という顔をして
「○○証券と○○証券と○○証券と○○証券」との話であった。
「支店長はどこの証券会社にいたんですか」との問いに
「私はK証券でした」との事。
「え、K証券、私もK証券のA支店とはおつきあいがありましたよ」
「私もA支店におりました」
そこで、またまた昔の話を思い出してしまった。
「それなら、“まぼろしのおっさん”の話は知っていますか」
「ジェジェジェジェ」←これはウソ
「例の兼松日産農林のですか」支店長は15年程前の話を出されて、懐かしさでいっぱいの顔になっていた。
まぼろしのおっさん。
それは私にとっては、恩人かもしれない。
15年程前、K証券には、証券マンとしては真面目な性格のSさんという人がいた。
Sさんは私とは気が合い、そこそこのおつきあいをしていた。
ある時、Sさんが
「先生、おもしろい話があるんですよ…」と切り出した。
「実は年のころ50~60の男性なんですが、ふらっと現れて、仕手っぽい株を、万株単位で買っていくんですよ」
「そんな話は、どこにでも転がっているじゃないか」
S「いやいや、それが、その人が買ってから、1week程で必ず値上がりをするんですよ」
私「いつごろから」
S「もう半年前からです。支店内では、もうその話でもちきりですよ」
私「最近ではどんな株を買ったのよ」
S「最近では、兼松日産農林です。あと、ワラントなんかもよくやるんですよ」
話を要約すると、50~60才ぐらいの、地味というよりは全然身なりにかまわないような、それこそ麦わら帽子を被ってくるような人で、
千万単位、時には億単位の現金を持って支店に現れる。
それも、すうっと、物静かに…
そして、こともなげに、素人が買わないような値動きの激しい株を買うとの事であった。
そして、それが1week、遅くても1ヶ月後には、必ず2倍3倍となるという事であった。
その人がなぜ、神奈川県のA支店に現れるのか、なぜ東京のNとかD証券ではないのか。
支店中、一体誰なのか、話がもちきりなのだそうだ。
私「3億円の犯人じゃないのか」
S「そうかもしれないです。こわいです」
私「今度来た時、何を買ったか、こっそり教えてよ」
まぼろしのおっさんは、その後しばらくA支店に現れなかった。
そんな話を忘れかけた頃、Sさんから、ひそひそ声で電話があった。
「先生、来ました、来ました。買ってます、買ってます」
「後でまたお知らせします」との事。
1時間ほどして、またSさんから電話がかかってきて、
「先生、マルハ(大洋漁業)と、シナネンのワラントを買いました。先生はどうします、買ってみますか」との事。
元来、無鉄砲な私のことである。
「よし、買ってみよう」という事になった。
買った翌日、まずシナネンに火が付いた。大ばく騰である。
続いて、マルハもハチャメチャに上がっていった。
こんな事があるんだ。何かおそろしい外力が、おっさんの周辺でうずまいている様な気がした。
私はといえば、おっさんが買う時に買い、売る時に売り、を繰り返して、そこそこの利益を上げていた。
そんなこんなで楽しく半年が過ぎ、Sさんから、いつもと違った状態でかかってきた。
「先生、まぼろしのおっさんが勝負をかけてきましたよ。なんと兼松日産農林を○万株も買い込みました。先生ものりませんか」
その時はあいにくと、機械を買ったか何かで、資金がなかったので
「残念だけど、今回はパスだ」と言って、その回は見合わせた。
まぼろしのおっさんは、その後もその株を、○万株単位で買い増したようだ。
しかし、今回はおっさんは、いつもと勝手が違うようで、兼松日産農林の株は、上がるどころか、じりじり値を下げ始めた。
1ヶ月程経ち、兼松日産農林は暴落状態となり、影も形もなくなるような株価となってしまった。
Sさんは「先生は天才だ。よく今回は手を出しませんでしたね」と言ってきた。
「手を出さなかったんじゃなくて、手が出なかっただけだ。
ところで、まぼろしのおっさんは、その後どううなったんだよ」と問いかけた。
「さあ、どうしているんですかね。今、売ったら○億もの損失ですよ。こわいですね」
その後、まぼろしのおっさんは、ぷっつりと来なくなったそうだ。
消息を聞くと
「サァー、ヤバイ筋に消されたんじゃないですか」との事。

この時以来、株式投資をする事が恐くなり、だんだんと遠ざかっていった。
あのままのめりこんでいたら、私の性格から、とんでもない事になったのかもしれない。
“まぼろしのおっさん”は、私にとってはエンジェルだったのかもしれない。
彼の消息は、何でも知っていそうな○○○証券の支店長に、今度逢ったら聞いてみようと思っている。