うそも方便

 昨今、歯科医院はオープン時、患者さんは来ないと相場がきまっている。30年程前、オープン時から患者さんが押し寄せてきて、トイレに行く暇もなかったのを懐しく思う。
その頃歯科医師会の会合へ行くと、近隣の先生たちが深刻な顔をしていて、ひそひそ話をしていた。じっと耳を傾けていると、何と2人とも診療中トイレにいく暇がなく、それが原因で膀胱炎になり、どこかいい医者がいないかの相談をしていた。当時は、殺到する患者さんをいかにさばくかが話題になる時代だった。
 鎌倉医院オープンのころ、なかなか患者さんが来なかった。思わず、ボヤキとも嘆きともつかない声をあげた。「ここらへん、人が住んでいないのかなァ。」正直者で有名な受付のSさんが、自分に問いかけられたと思ってすぐに反応してきた。
「住んでいないのかもしれない。」私は、「車も通らないものなァ。」と言うと、
Sさんは、「本当に車も通らないし、人も通らない。」「車も平塚に比べるとちょろちょろだ。」
 私「・・・・・・」
あたりまえだ、国道129号と比べれば、どこの道路でもちょろちょろだ。
へんなところで平塚の自慢するな。(Sさんは平塚出身です)
 こういう時は、なぐさめてくれそうな人を捜して、衛生士のチーフに同じ問いかけをすると、
「先生、まだ始まったばかりですよ。そのうち、患者さんも押しかけてきます。がんばりましょう。」
うそも方便、さすがベテランの一言。救われます。
 箱根湯本医院オープン時に、先程のSさんがヘルプにきてくれた。
またまた、私が「患者さん来ないなァ、サルしかいないのかなァ。」とうっかり言うと、すぐ反応して、
「先生、イノシシも出たという話ですよ。」とSさん。
「それに、ヘビまで現れて、みんなでキャーキャー言ったという話です。」
 私「・・・・・・・・・・・・」
今度は周り見渡してもなぐさめてくれそうな人もいない。私は、反撃にでた。
「あのね、Sさん。あなたの正直なのはいいと思うよ。私もあなたのその性格は大好きです。しかし、うそも方便、あばたもえくぼ、ということもあるんじゃないの。」
Sさん「・・・・・・」
Sさんは、大きな眼をパチパチさせて、にっこり笑いかけながら無言・・・。
 私は、心の中で想像した。うそも方便の方便が解らないんじゃないの・・・トホホ。会話をあきらめて、裏庭に出没するサルを見学に行った。